2002旧市政を診る
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 我輩の名は 
仮想世界の生物ネット上を自由自在に・・・

2004年 8月
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2004年8月1日 パーク定期大会

パーク定期大会


猿谷 忠会長優勝の中里副会長授与している写真

18ホールになって2回目の大会である。優勝者は副会長の中里さん準優勝は会長の 猿谷さんだった。
2004年8月3日 水辺の楽校

 川越、上尾にまたがる荒川河川敷に広がる「三つ又ビオトープ」視察に、パークから3名が参加した。2回目である。
国土交通省が進めている自然復元事業の場所である。湿地帯で木道で観察しやすい歩道が設置されていた。

2004年8月4日 河川環境調査

 旧中里村河川敷で河川の淵などを人工的に巨石を積み上げ、流れを蛇行させることによって水中の虫(カゲロウ)などの定点観測を1ヶ月に1度行っている。神流川の上流は清流そのものである。


群馬大学、工専の学生や先生が測量サンプル採取など川に入り、炎天下の中行っていた。掛川さんは学生を指導していた。万場の石やさんのSさんが石積みの構造や施工方法、魚道など覗きガラスで鮎など多くの小魚が群れていた。

2004年8月8日 青春
 
大家Tさんは満62歳になる。本人はいたって元気で、「としだ、としだと」と人にあわせて口にするが、ほんとうは一向に年齢など気にかけてはいない。
「きっと人間はみな同じで、第三者がかってに外観で決めてつけているのだ」と疑わない。
江戸時代の無難禅師は60歳のとき禅の修業に入ったと聞く。
江戸時代の平均寿命は50歳ぐらいだったろうから、現代置き換えれば80歳過ぎの老人が修行の道に向かう・・・ことになる。
「62歳?鼻垂れ小僧だ」大家Tさんは心の隅で思っているに違いない。

2004年8月10日 IT化の遅れ
 
藤岡市のHPがすばやく反応しない。通信回線などハード面や、導入に当たっての技術的理解の未熟さがもたらしているものと思われる。
1課1ホームページになっているが、中身の更新や新規内容の掲示もなされていない。

なぜ遅々として進化しないのか、その原因はたくさんある。
かって大家Tさんは「時代のうねりに乗り遅れないように」と市当局に公の場で指摘してきた。その後内実は目の前に飾ってあるパソコンはあっても、
多くの幹部は「パソコン自体に積極的に向き合おうとしなかった」

中には「機械は苦手だとか、もうすぐ退職なのだから・・・」とか様々な理由を並べたてていた。
管理職がこのザマでは下のものは「余計なことはしない」また余計なことを言えば「余計な仕事が回ってくる・・・」と押し黙ってしまう。


何度もこの蘭で嘆いてきた市幹部言葉。
「歴史的にみても、藤岡にはインターネットは似合わない・・」
公然と当時の市大幹部が言い放っていたのだった。

 3年前から透明性の高い公正な職員採用が実施されるようになってきた。
公務員希望の高まりから優秀な人材が多数応募する状況は今後長らく続くだろう。

「縁故採用」などと言う組織を腐らす原因に一定の歯止めがかかり、未来が少し明るくなってきた。
10年後大家Tさんの嘆きは解消されているだろうか・・・。


8月11日 太田市へ視察

大家Tさんは同僚の茂木議員と太田市に研修視察に出かけた。
庁内でIT戦略ビジョンの研修の後渡良瀬の河川敷に移動し現地を視察した。
大田パークゴルフは太田市長のトップダウンで実現した



8月12日 三波川現地視察

冬桜の里として名高い鬼石町。
西側を流れる三波川には清流と豊かな自然環境があった。
珍重された三波石は庭石として高値で取引された。特に高度成長期のころ採掘され急速に川から姿を消してしまった。

子供のころ清流の淵で魚と遊んだ人々は、川に石をもどそうと立ち上がり、12年間で5000トンの石を三波川にもどした・・・。
毎年5月のゴールデンウイークの時期に巨石の運搬設置が行われてきた。
8月15日 雨で第3競技会中止
パークコースの整備を会員の手で炎天下の中(土曜日)準備したが朝から雨で中止となった。定期大会以外は順延なしの決まりになっている。
読売新聞に毎週土曜日はいる「アミーゴ」の記者がパーク取材の予定だったが、あいにく競技会の様子は見てもらええなかった。
10時ころには雨も上がり記者を案内し大家Tさんが現地で説明をした。

パークゴルフを通じて多くの市民が「少子高齢化時代」を乗り切ってゆこうという目的だから、私利私欲ない。
だから表に出ないように縁の下でお手伝いをしているのである。
大家Tさんは議員として公の活動を市民のために熱心に進めているのだが、一部の人々は、「選挙用のポーズだ」と中傷しすぐに足を引っ張るおぞましい世界なのだ。
この世界で生息するには「特別な神経の所有」が必要になる。

大家さんは65歳で引退するとすでに意思を固めている。
「8年やれば十分だ・・エネルギー小出しにしながら生きてもしょうがない。残り少ない人生やることが山積みだ・・」と大家Tさんは思っている。


大家Tさんは地方政治に挑戦した目的が明確であった。
藤岡市で発生した(口止め汚職事件)に驚愕。
藤岡の腐った政治風土の根源を破壊するために挑戦。
政権交代を実現したことで目的が達し、新しい血がはいる市町村合併の目鼻が立ったことでその政治役割は終わったのである。
8月17日 アテネ オリンピック

開会式がみたかった。記憶する限り史上最高の演出だった。
寝不足が続いている。
過去体操、柔道、レスリング、などが日本のお家芸だったが、レベル向上が他の競技へと裾野が広がっている。
だめ政治、だめ教育、社会全体が軟弱日本のなかで、多くの若者がこんなに光っているのを見ると、まだまだ日本再生の可能性が残っていると、希望が湧いてくる。

スポーツは人々になぜ感動を与えるのか・・・・
感動の源泉を自問した。

8月18日 45年前の教訓−1

 45年前の夏、柔道南北海道大会個人戦。大家Tさんは北海道追分高校の体育館の畳の上に立っていた。
当時の柔道はまだ体重別ではなく、無差別で行われていた。
「柔よく剛を制す・・・・」の柔道の精神がまだ競技に反映されていた時代であった。

もともと勝負の結果に対しあまりこだわりの強いほうではなく、たまたま同僚の体調が悪く代わりに個人戦に出場した。
各高校の出場枠は2人で、約30名が3ブロックに別れトーナメントで争った。
いまだに昨日のように思い出すのが準準決勝、準決勝、決勝リーグ戦での試合であった。

 1回戦、内股技ありで突破し、2回戦は跳腰で1本勝。
3回戦準準決勝へと駒を進めた。
勝ち上がってきた次の相手は、体格がほぼ似た伊達高校主将で立ち技の名手であった。

試合開始と同時に多彩な連続技が嵐のように襲ってきた。
防戦一方のまま3分もしのいでいると、技が次第に軽くなってきた。

相手はどこかに組みやすし「勝てる・・」との思いが走ったに違いない。右の大外刈りが飛んできた。かけた右足がやや高く腰高だった
「この瞬間を待っていた」
体を右に回転しながら大外返しから払い腰の型になって巻き込んだ。
相手の体が空中で弧を描いて回転していた・・・1本。
やっと起き上がった相手の目は中空をさまよっていた。


審判の判定を聞きながら、この春母校の講堂で行われた栄高校との親善試合を思い出していた。対戦相手は小柄な背負い投げが得意な選手だった。過去に一度対戦し私はなんなく勝っていた。
挨拶し顔を上げ審判をみると主審は偶然彼の父親だった・・・。
「この試合は、すっきりした1本勝ちでなければだめだな・・」と考えながら進んだ。
「ふわり」と組んだ瞬間、私の体はいとも簡単に空中を舞っていた・・・勝負は3秒であった。

私はこの負け試合で多くのことを学んだ。「勝負のときは雑念を払い1点に集中すること」「結果を恐れない」「平常心・・・」
この負けた経験が高体連準々決勝の勝利を呼んだのだった。
私と同じく彼も敗戦から多くのことを学び教訓としたに違いない。

8月19日 45年前の教訓−2
 
準決勝の相手は、室蘭工業高校柔道部主将。
私よりふた回りほど大きく寝技を得意としていた。

立ち技の内股、跳腰を得意技とするが相手より体格の劣る私は、寝技に持ち込まれないよう無理な姿勢での技は仕掛けられない状況が続いた。
5分の試合時間は経過し、5分の延長戦に入った。しかし延長1回でも優劣が決まらず延長2回戦に突入した。
当時のルールは延長戦2回で勝負が決着しない場合は、ジャンケンポンで勝ち負けを決めることになっていた。

対戦相手は上背、体重など総合体力が上回っていたが、私は消耗の激しい寝技に持ち込まれないようにしながら耐えていた。
私の柔道は「内股」切り札に跳腰に足技を絡める連続技の組み立てで成り立っていた。

相手は私の内股を警戒し、最初から最後まで腰を引いた姿勢で組んできた。
柔道では背筋を伸ばした姿勢が正しい姿勢であるが、技をかけにくくするために多くの選手は腰を引く姿勢が多い。

私はどの試合も、スタミナの消費が少ない背筋を伸ばす立ち姿勢で組んでいた。
しかし、強力な相手との延長2回の長時間の試合で体力の消耗が激しく最後は余力はほとんど残っていなかった。
私の耳に残り1分の声が聞こえた・・・

「このままではジャンケンで勝負が決まる。
勝敗を運に任せるくらいなら、その後の試合のための体力温存などという考えはすてて、3年間磨いてきた「内股」に残りのすべての気合とエネルギー投入しよう。
成功しなければ押さえ込まれ確実に負ける。
でも悔いを残さない柔道で最後を飾ろう・・」


残り30秒の声を聞いた・・・
相手は勝敗を引き分けジャンケンでも仕方がないと考えてか、腰を深く引いて私の内股を警戒する体制を崩していなかった・・・・
8月20日 45年前の教訓−3

「悔いを残さない柔道で最後を飾ろう、一滴のエネルギーも残さないで使い切ろう・・
3年間磨いてきた内股で・・」


覚悟すると全身の余分な力が抜た。
スーと腰を引いた相手の懐に入った力も抵抗感も何もない・・。
柔道の指導書が言うような内股だった。
私よりふた回り大きい相手の巨体はやけにゆっくりと中を舞っていた。
死闘は終わったと同時に、気力体力を使い切っていた。

畳をたたいて悔しがる相手は総合体力はわたしより上だっただろう。
柔道をやる前に相手は野球部で活躍していて、肩の故障で柔道部に転向したと聞いた。私がまさった点があるとしたら、勝負に対する土壇場での覚悟が優っていたのだと思う。
勝ち負けにこだわるよりも、悔いを残さない自分が納得する試合で終わろう。
と考えた「心の差」だったに違いない。

その後、3ブロックの勝者3人による決勝リーグ戦が行われ私は3位になった。
(1位になった苫小牧工業高校灰野3段は後日、個人戦で北海道大会を制し、全国大会へ進んだ)

閉会式で、高体連大会委員長から直々にお褒めの言葉をいただいた。

「あなたの各試合の態度と背筋を伸ばした姿勢からの技は、今大会で一番立派で強く印象に残りました・・・」

大家Tさんは「この言葉を宝に」高校3年の夏を最後に柔道をやめた。
8月21日 パークバーベキューと花火大会

朝から準備のため早起きした。
市政50周年花火大会は午後7時から始まる。
会費男2000円、女1000円。30名の会員が参加した。
3時に買出し、会場設営など会員が集まり、5時30分には炭準備が完了。
会長挨拶でパーク初めてのバーベキューが始まった。

集合写真
バーベキュー

読売新聞の女性記者が取材に訪れ(アミーゴ)集合写真を撮った。
風もなく、気温も適当で最高のバーベキュー日和になった。
夕闇は6時30分ごろから始まり、エンジンで電気を起こし照明の明かりをつけた。
参加者の多くからバーベキューと花火の組み合わせは好評だった。
最初の日程の検討には花火との組み合わせはなく、偶然だったのだ・・・。

大家Tさんは久しぶりに飲みすぎてしまった。
8月25日 第2回法定合併協議会

第2回法定合併協議会が鬼石町役場で開催される。
二つの小委員会が設置された。
ドラネのボクは窓枠から中を覗いていた。

藤岡の議員が数人傍聴に来ていた。
某議員がところをわきまえず傍聴席から鬼石の町民にわざと聞こえるように、
得意げに「野次」を飛ばしていたそうだ。
大家Tさんは座った位置の関係で耳に聞こえなかったそうだが・・。
どうも藤岡市長の議事の運営に対し嘲笑する野次らしい。
藤岡の議会でもこの某議員は野次の常連で、自分の野次は許すが、他人の野次を認めないといった態度で、まともな人は人は相手にしていない。


どこの議会でもこの手の議員は一人ぐらいはいるらしい。
問題なのは、人の庭を借りての会議で、
己の言動になんとも思わない本人の神経だ・・・。
藤岡の議員としてなんとも恥ずかしい限りだと大家Tさん・・・。

ちなみに IT など言葉を聞くの見るのも嫌いな御仁と聞く。さもありなん
8月26日 群馬よみうり
パークゴルフ活動が、
よみうり新聞の地域誌「アミーゴ」に紹介されました。
高齢者を中心にお互いに「心と体」の健康増進に1歩でも役立つことを念じながら、パークゴルフ場整備に出かけてゆく大家Tさんでした。


8月29日 オリンピック終わる

れでやっと寝不足が終わる。
各競技に日本選手はずいぶん活躍。一部の有望注目競技だけでなく、裾野が広がったという感じだ。やはり女子の活躍が目立った。日本の社会状現象をスポーツが鏡となって映し出している。

平和はたいへん結構なことだが、国家としての総合力の衰えがどんどん進むだろうことは間違いない。
8月31日 IT ビックバン

台風一過、猛烈な暑さになった。8月も終わりだ。
昨日議会の「暑気払い」が行われた。大家Tさんは隣り合わせた議員とインターネットの話に熱が入った。

ソニーの出井元会長が、アメリカでおこなった講演で・・
「ブロードバンドによって世界は大きく変わる。
たとえて言うならば数十万年前、ユカタン半島に巨大隕石が落下、地球環境は激変し氷河時代に突入した。地球を支配していた恐竜は絶滅。その後哺乳類の新しい時代が始まった・・・インターネットとブロードバンドはまさに現代社会に突如として落下した我々社会を根底から変える巨大隕石なのだ・・・」

この有名な講演は世界中に伝わった。

大家Tさんは続ける・・・

「我々社会に隕石はすでに落下した。
この宇宙は150億年前にビックバンにより誕生。
全宇宙がサッカーボールほどの大きさに凝縮した後、突然爆発し現在も拡大を続けているといわれる。
爆発初期はもちろん地球も太陽系も銀河も誕生していない。
想像をはるかに超える高温高密度の粒子がが拡散拡大することによって温度と密度が下がり、46億年前に太陽系と地球が誕生したといわれている。
地球の上でうごめく我々社会は宇宙のビックバン現象と同じで、情報技術を手に入れた瞬間から始まったITビックバンによってラットイヤーといわれ目もくらむような猛烈なスピードの中に放り込まれてしまった」

大家Tさんはさらに続ける・・・
「昔、大発明といわれる印刷機による情報の大量伝達で大きく社会が変わった。
現代社会ではさらに進化した電話、テレビなどなしでは成り立たなくなってしまった。
また高速大量輸送を可能にする高速鉄道、高速道路と輸送手段である自動車無しでも成り立たない。

インターネットは全世界の隅々まで張り巡らされた高速道路にたとえられる。
道路である通信線は光ファイバーの中を駆けめぐり、
さらに大容量超高速回線が生まれようとしている。
パソコンなどの情報機器とソフトウエアーは分単位で進化し、目のくらむようなスピードで進む自動車の窓から無限に生まれる多様な目的地に向かって疾走しているといえるだろう。
ITビックバンがもたらす未来が、どんな運命をわれわれにもたらすかはまだ誰にも描けない。
しかし、はっきりしていることがある。
このIT社会が嫌いであろうがなかろうが、否定しようが逃げようが関係なく、
我々の社会に隕石は落ち、確実にその世界の環境に飲み込まれてゆくのだ。
環境に適応できず滅んだ巨大恐竜の運命をたどってはならない・・・。

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