藤岡市 市政
診る  2003年・2月・ 1日
                           2月・20日


三好徹明


2月2日
(日)
選挙とえびら・・
故郷の人から便りが来た・・。
10数年前私の記事を書いてくれた地元の記者Tさんからだった。実はそのTさんの書いたたった1行の記事によって私の運命が大きく変わったのであった。
「自立と共生」ホームページに載せてある「地獄の受験勉強」に詳しく書いてある。

Tさんが数年前に「今度は田舎の選挙を闘う・・・」
と題し書いて見ては・・と言っていただいたが、今の立場ではあまりに生々しいので引退したら書こうと思っている。
資料は山のようにそろっているのでネタには事欠か
ない

藤岡市の県議選挙定員2名が本格化してきた。
3陣営事務所も稼動し始めている。あいも変わらず出入り口や窓には紙やスプレーで目隠しをしてある。
私にはどうしても理解できない。理由は他陣営に支持者や出入りする人を見られないようにしたり、エビラ(支持者?が必勝を願い、大きな紙にグロテスクな絵がかかれたお守り??のようなもの)など見られないように外から隠しているのだ。
いやはや田舎は大騒ぎである


6年前の私の補欠選挙を上毛新聞新聞オピニオンに投稿した私の当時の記事(補欠選挙を振り返って)を是非ご覧ください。
2月5日(水)
土建政治の終焉
北海道岩見沢市で公正取引委員会は、官製談合防止法をはじめて適用する。
市が発注する工事すべてで市幹部が業者をよび予定価格を教えていた・・・。絵に描いたような「官製談合」である
職員個人の責任まで踏み込めるか、今月中の市の報告書に注目が集まる。談合は税金の無駄使いだけでなく、質のよい業者が育たなくなる・・・(朝日社説)


藤岡市は昔から土建業者が政治の前面に出てきて、公然と選挙運動を展開してきた政治風土ががねずいていた。やっと昨年の市長選挙でその土壌が崩れてきた。時代状況とともに主役の座から降りて影響力は今後激変してゆくだろう。

2月7日(金) 3月20日
議会報告会・・・

長野県田中知事が知事報酬30パーセントカットを行う。群馬県渋川市長が期末手当20パーセント削減することを決めた。
我が「清風クラブ」も議員(特別公務員)報酬を10パーセント削減を提案する。
市議会議員選挙では3人共通の公約として掲げる。


3月20日午後7時より、市民ホールで「清風クラブ」議会活動4年を振り返ってと題し、議会報告会を開催の予定です。お三方に出席を求めて、県議選を前にして3人の候補予定者に県政に望む抱負を聞ければと思う。

2月10日(月)
闇に浮かぶ・・
公立藤岡病院

午前10時。執行部より15年度予算の説明(会派別)
午後4時より藤岡病院外来センターにて「調査委員会」経過報告(委員長弁護士)。

調査委員会の結論
2310万円の目的外使用金の返還請求をコンサルタント会社に求めたことで委員会の目的をほぼ完結した。
調査委員会の建前は「秘密会」となっているものの固有名詞が出ないだけで、実質的にオープンになっていた。

私は「これ以上の議論はここでは限界があり、病院議会に今後の真相解明は移すべきであると発言」
その方向で13日の病院議会にのぞむことになった。
前政権の事務の中心的役割を担ったX職員がすべてを闇に隠蔽し抵抗していることが明白になった。

現在の新執行部ではこの同僚職員や闇の仕切り人を尋問の席に引きずり出すことはできない。
いまだに事務引継ぎを拒否する元職員Xを太陽の下に引きずり出す役割は議会であるとの認識にいたった。
いかがわしい前政権の病院経営の闇を市民の前に明らかにしない限り、多野藤岡の納税者は納得しないだろう。

これは市民に監督責任を付託されたわれわれ議員の責任であり仕事だ。

2月11日(火) 寿命の尽きた無抵抗ゴリラにたかるハイエナ・・・
みんなで出せば怖くない・

前政権と真っ向から政治闘争を挑んだ私は、常に緊張を強いられ、日々張り詰めた生活の3年間だった。粘って前政権を駆逐し「正義は勝つ」ことを証明した。常に正義を実践しているとの確信と信念が私の闘いを支え続けた。だから最後まで闘えたのである。


最近隠れていた団体や集団が前塚本政権の失政を非難し始めた。当時は勢いのあった野蛮政権に対しその人々は電信柱の陰でおびえていて

チラシひとつ出せずにいた。
最近は弱って抵抗できなくなったゴリラを遠くから見ていたハイエナのようだ。
このところ馬鹿に元気が出てきて、
死に体の餌に飛びついている。
可愛そうなゴリラちゃん・・・。

みんなで言えば怖くない・・・

いまや私に追い払われた「ふじおかNOW」の元毎日新聞記者Oももういない。ペンの暴力団の脅威もない。
だからぞろぞろ意見広告チラシが新聞折込配布されはじめたのである。
最初から陰でこそこそしないで、表で堂々勝負しようではありませんか・・・各種団体殿。

2月13日(木) 病院議会と
100条委員会の設置

医療関係者から夕べ遅くメールが入った。
藤岡総合病院の診療拒否によって富岡総合病院に搬送され、緊急手術を受け事なきを得た患者2歳児は
「鼠径ヘルニア嵌頓」であった。
この2歳児の症状は、腸が出たままで元に戻らず、緊急手術が必要な状態であった。


今日1時30分より病院議会が開かれた。私は急遽
一般質問の3回目でこの事例を議会に報告し、
病院の士気の低下や対応のずさんさを糾弾した。
また公務員としての自覚の欠如が蔓延しているとも指摘した。

姿は派手なハコモノ病院の建設に積極的に参画した病院幹部は、以下の数字を見せられても尚「さらに様子を見なければ外来センター設置の成果は問えない・・・」と強気の答弁した。しかし下の数字を見れば
経営にタッチした人間なら一目で状況が理解できるのが普通である。


平成 年度 赤字見込額 四捨五入
14年度 18億円
15年度 11億円
16年度 9億円
17年度 8億円
18年度 7億円
純損失
5年累計
53億円
前の院長のように、そのうち退職して関係なくなるからいいのかもしれないが、この赤字と不信感を背負う市民はたまったものではない。ただ、私の質問に病棟副院長が当時の判断に無理があったと苦しい答弁をしたが、正直で誠実な印象を受けた。


最後に行政側の内部調査の限界を見定めて
私が動議を出し、100条委員会が設置された。

2月15日(日) みんな嫌がる、
100条委員長に就任
 
最近ちらほらと若者の間にキラキラ光る人達が出始め、日本のみらいに僅かだが希望が持てるような感じがしている。
植物でも危機が迫ると大量の花や実をつけて種を保存し生きながらえようとするように・・・。
正義を捨て貪欲に支配され、立ち枯れ寸前の日本社会に危機感を持つ若い芽がつぼみを膨らまされているのだろう・・・。
いまや完全に欲望増幅社会のあらゆる繁栄は終わった。

私は病院「100条委員会」の委員長に就任。
これから改選までの約1,5ヶ月間、強制力を付与された100条委員会運営に没頭しなければならない。
これで一般的な選挙運動は不可能になった。

他の委員会ポストは争って求めるのに・・多くの議員が委員就任などを辞退した。何故だろう、今回は2つの理由からだ。
ひとつは、かって病院建設に賛成し、現在の破綻寸前の公営事業の責任を問われる場に同席したくないだろう。
もうひとつは、4月27日改選の選挙運動で「それどころではない」

選挙による有権者の採点結果については、今まったく私の念頭にない 私は市民の代表として「行政を監視しチエック」する仕事を、失職(4月20日告示)まで全力で全うするだけである。

このまちに勇気と正義と良識は存在するのか
・・・
闇の扉はギリギリときしみながら開いてゆく・・・

日時 : 19日午後1時30分。
場所 : 公立藤岡総合病院 外来センター
傍聴 : 原則公開

第一回 100条委員会開催
「公立藤岡総合病院コンサルタント業務事務処理」ならびに「業務事務引継」の調査

2月21日(金) 金正日とサダムフセイン
19日100条委員会第1回開催。
午後1時30分より。外来センター会議室。7人の委員が関係書類を調査する。傍聴公開。次回関係部局からの説明を受けることで終了。
次回は非公開となった。

関係者が「三好さん身辺に注意したほうがいいよ・・」と複数の人が言う。
心配してくれる人はみんな知っているどこの誰が邪魔し脅すのかを・・・。
こんなに真相が明らかで、明白な事柄を手順を踏んで調査しなければならないのが民主主義の手間のかかるところである。
しかし手間を省けば、北朝鮮のような将軍様の独裁国家になり国民がが奴隷にされてしまう。
イラクも北朝鮮も恐怖政治によって人民から自由と言論を奪い国家の悲劇を演じている。
情報公開を嫌がる体制と、言論の自由を規制する体制はいつの時代も「いかさまでいかがわしい」ことが歴史で証明されているのだが・・なぜか繰り返し騙されるのだ。