ネパールからの手紙

北爪遊峰(三宅島) ーーー 垣見一雅(ネパール・ドリマラ村)
1994年ーーー1996年

北爪遊峰夫妻と知り合い、ネパールを旅した。
日本人の誇り垣見一雅さんとの出会い、
往復書簡のことを知った。


現在北爪遊峰夫妻は5月に帰島し
三宅島復興のため奮闘している。


1994年からの書簡を数回に分けて掲載いたします。

垣見一雅  

1939年東京生まれ
早稲田大学卒業
私立「順心女子学園」
英語教師を23年間務める。
1993年より単身ネパール 
パルパ県ジャルパ郡ドリマラ村に住み支援活動を始める


初めに
「古き自己に死んで新しき自己に生まれ変わる」たまたまあるカレンダーにあったこの言葉を、今でも覚えている。

電気はない、水道がない、おトイレもない、新聞も来なければクルマもない。
ないないずくしの村の生活は、自分が東京でどんなに多くのものに囲まれ、
しかも、なくてもすむものに押しつぶされるように生きてしたかを実感させてくれた。
それは逆にこんなにわずかしかなくても人は生きていける、しかも心をやわらげ、
幸せを感じて生きていけるかを教えてくれた。今まで自分を取り巻いていたもの、
後生大事にしがみついていたもののいくつかを捨てる快感があった。

ないない尽くしの村に住み始めてすでに8年がたつ。
東京生まれで東京育ちの私には、ネパールの山奥での生活は新鮮そのものだった。
そんな生活が待っていたネパールへ出発する前日の晩、息子と2人、
小さなレストランで食事をした。

息子が訪ねた。「お父さん、ネパールに何しに行くの」
「少年時代の復習に行ってくる」
言葉がわからぬ寂しさも味わった。
今にして思えば、そんな寂しさを少しでも慰めてくれたのが、
毎日心を躍らせてくれた村の生活のあれこれを日記に綴ることだったのかもしれない。

こうしてつづられたものを読み返してみると、8年たった今とは考え方も、
心の感じ方もずいぶん違うような気がする。それでもその折々には、
心に感じたものをありのままにつづっていたのだろう。
そんな日記をもとにして、村での生活、
自分の心の推移をひとつの記録としてまとめたものがこの本である。
古い自分はどうなったのか。死んで新しい自分を生むことができたのだろうか。
                             OKバジ


手紙の主は、垣見一雅さん。56歳


三宅島
北爪遊峰


1988(63年)3月に、エベレストのトレキング中にお逢いし、その後6年、音信不通のまま経過しましたが、友人を通じて彼がネパールに在住して、独力でボランテア活動を続けているということを知りいたく感動を受けました。
6年ぶりに文通を開始、彼が日本に帰国した時、私の住んでいる三宅島へも来ていただき、これが縁で、平成6年10月、妻と2人で再度ネパールを訪問することが出来ました。

垣見一雅さんは6年前のトレッキング以来ネパールの山に憑かれ、その後又、山に登りガイドと共に雪崩れに逢い、九死に一生を得て生還。たどり着いた所がガイド青年のドリマラ村であったということです。

東京の学校で英語教師をしていた垣見さんは退職して、ネパールのドリマラ村を根據にして、辺鄙な村々を歩き,1人で学校を建て、橋を渡し、村の人々と力を合せてボランティア活動を、今、続けています。特に身体障害者の救済に心をくだいていています。

平成6年10月私共2人のネパールの旅で無事にトレッキングを終え、お釈迦様の誕生地ルンビニをお参りに行く途中、バスが断崖から谷に落ち、私共4人と乗客数10人が大怪我をしました。タンセンと言う所の病院に入院することになったのですが死者が1人も出なかったのは、不思議という外はありません。

この旅を中心に文通した前後の、垣見さんからの手紙を紹介します。
今では垣見さん、ガイド青年テイラック、私共2人もすっかり元気を取り戻しております。

手紙の文中し省略したり、割愛した部分が沢山ありますが電灯も無いドリマラ村のテントの中で寸暇をおしんで書き綴って送ってくれた、垣見さんの「心」が処々に読み取っていただけるものと思います。        
(平成7年11月記)


北爪遊峰 様
   垣見一雅 94.6.26

 
    


17日ぶりでカトマンズに戻りました。昨夜振り続いた雨があがり、澄んだ空気の早朝5時、ヒマールがくっきりと、シルエットになって浮かび上がっています。久しぶりに見せてくれたいつもながらのいい顔です。

お元気ですか。すでに第1号校舎がほぼ完成したとゆうニュースはドリマラ村からお知らせしました。小さななんの変哲もない石と泥の校舎ですが、私にとっては人生のモニュメット。じっと1人で眺めていると、1つの記憶が他の記憶を呼び起こし、それだけでも数十ページが埋まりそうです。

この17日間の村での滞在で。又、沢山のことを教えてもらいました。村々を歩き、さらに多くの貧しさを見、人の物欲の凄さを、不潔さを、不便さを見ざるを得ませんでした。でもそんなネガティヴなものとは反対に相変わらず美しい子供達の笑顔、純粋な心、村人達の温かさ、優しさにも触れることができました。ほぼ完成したあの第1号校舎が次々に夢膨らませてくれます。村のリーダー達と、今ぼくに出来ることを素直に話し合い、特に子供達のためにできることを、あれこれと計画しています。
この手紙がそちらに着く頃は、また村に戻り村々を歩き、身体を村の生活に慣らさせたいと思います。ごきげんよう。

小さな第1号校舎、ぼくの人生のモニュメント石と泥でできたこの小さな校舎なんの変哲もないが、これはぼくのエネルギーの1部、ぼくの命の1部 村歩きに疲れて立ち止まってみたらこの村だった。何かの縁で足を休め身体をやすめた

これからこの校舎は村のどんな歴史を見ていくだろろう。ぼくがこの村を去るときが来ても覚えて欲しいです。日本人のおじさんがこの村であなたたちの温かさをいっぱい感じながら少年時代を復習した心を躍らせていたことを。


北爪遊峰 様
     垣見一雅
94.7.18来信

ドリマラ村の子供たち


 楽しい島からのお便り有難うございました。外国でもらう故郷からの便りといいうものは格別なものです。私が55歳の誕生を村で祝ってもらっている日に、北爪さんからの手紙を読ませいただきました。海の風.濃い緑・あれこれ想像しながら・・・。6月8日に投函されていることの便り、受け取ったのは7月7日でした。

 第1号校舎のことはすでに書かせてもらいましたが、これから村に戻り、2号、3号と計画中です。大自然に憑かれやって来たネパール、今はそれに加えて人に憑かれています。素朴な人達、無邪気な子供達、言葉ができないのが残念で仕方ありません。英語が出来る人たちとはすぐに友人になれる。だからネパール語をやればいいのについ怠けてしまい、1つ覚えると2つ忘れるそんな感じです。それではカトマンズで会える日を楽しみにしています。雨のカトマンズより


北爪遊峰 様
     垣見一雅
94.8.18来信

クマリのお面

カトマンドウで素顔を拝顔した
お元気ですか、梅雨はそろそろ明ける頃ですね。あんなに美しい三宅島が東京から簡単に行けるなんて知りませんでした。先便に続いて北爪さんのネパール旅行のことで、1筆書かせていただきます。

村から青年が2人カトマンズに来たので、写真を見せ、この人達が祭りのころ君達の村に行くかもしれないと話した所、とても興奮した様子でした。ダサイン祭り歯10月11日から15日まで。国中どこでも祝います。・日本のお盆と同じで、カトマンズの人口がぐっと減ります。帰省ラッシュは変わりません。

・カトマンズにいつ着き,発たれるか、村への祭りにいつ来られるかなど決めてもらえば、細かいことはこちらで決めます。10月に入ると天気がとても安定します。数日のトレッキング、今回はアンナプルナ、ダウラギリをご覧になるのはいかがですか。

ルンビニにも書いてありますね。カトマンズでの私の友人宅で夕食を予約しておきました。村では友人宅、そして私のところ(まだテント生活ですが)もちろんおかまいはできませんが、できるだけのことをさせていただきます。具体的にわかれば、それに合せて宿泊先など手配できます。

郵便事情があまり信用できないので、くどくなりますが、また確認させていただくかも知れません。お便りくださる時は村の方、封筒の住所にお願いします。
ごきげんよう




北爪遊峰 様
     垣見一雅

94.9.7

ドリマラ村
三好徹明 現地でスケッチ

7月21日。8月4日付の2通の手紙を昨8月14日、2ヶ月振りのドリマラ村で受け取りました。猛暑、水不足でさぞ大変だったことでしょう。今は少し暑さが和らぎましたか。先便で書きましたように、ガイド役のドリマラ村の青年とおおまかなスケジュールを作って見ました。

別紙の通りですが、ご参考になさって下さい。ひととおりご希望の地ははいっています。

(カトマンズ着からカトマンズ見学。ポカラへバスで行き、トレッキング開始,ゴレパニまで行きプーンヒルの丘からダウラギリ、アンナプルナンを展望)ポカラ見学。ルンビニへ。ドリマラ村へ(ダサイン祭を観るカトマンズから日本へ)

1番やっかいなのは、9日〜13日は日本のお盆のような祭りでネパール中の人間がバスで移動するので、チケットが取れにくい。ダサイン祭は村にとって特別な日なので、村にいた方がいいと思います。

外にこまごまと要領が書かれている。空港に迎えに行くこと。ホテルの予約、シャワー付きで1部屋1千位のこと、10月は雨は大丈夫。経費は2人で15日間3万円位でどうか。

ガイドには金で、1日七百円位だが、私の友人なので、旅の終わりに気持ちだけでもしてくれれば、家族のために米などが買えること。村の人たちのお土産は前に頂いたお金を使わせてもらいたいこと。

どう使うか村のリーダーと話し合うこと。お金はドルが良いこと。到着する便名と日時を決められたいこと。トレッキングの服装のこと、計画の変更も自由であること。物価のこと。万一の場合のために3箇所の友人宅の電話番号等が記してある。などなど)どうぞ無理なさらず、ゆったりと気ままにお好きな様になさってください。

夏の疲れをとられ、体調を整えられて、空港に元気な姿でおいで下さい。お待ちしています。




北爪遊峰 様
     垣見一雅

94.9.8

 暑さはカラ峠を越したことでしょう。今日は822日この手紙がお手元に届くのは、9月に入ってからとすると、朝夕はほんとうのちょっぴり秋の気配を感じておられることと思います。どんな夏でしたか、海に存分潜られたことでしょう。どんな想いが残りましたか。先便にも書きましたが、これは確認の手紙です。

10月にいらっしゃるとのことで、私共の都合で予定を勝手に作りました」ものを同封させて頂きます。あくまでも予定ですので、変更はできますが、その時は早めにお知らせくだされば幸いです。ドリマラ村の人達に、お二人がいらっしゃることを話してあります。

ただどこも貧しい村特別におかまい出来ないと思いますし、寝るところもトレッキングの小屋と同じような所ですが我慢して下さい。

煙がいっぱいの部屋の土間で食事ですし、すべてが不衛生なので心配ですが、お二人はあちこち辺鄙なところへいらしているので抵抗力もあると思いますが
、ちょっと比較にならなぬ所だと思って下さいね。先便で北爪さんからのご好意の内容がありましたので遠慮なく書かせて頂ますが、できるな現金を一番喜びます。でもかえってご迷惑と危惧しております。

またトレッキング中でも、村でご飯を召し上がるのに抵抗が」ありましたら、自分専用の箸なり、スプーンをお持ち下さい。

家によってありますが、食事に招かれた家よっては有りません。いろいろと不便」も有ると思いますが、「どこへ行ってもそこが我が家。」と書いてありましたので安心しております。いい旅が出来るといいのですがどうぞ気軽においで下さい。

トレッキングものんびりと、自分の好きなスピードで、休みたいところで休み、泊まりたい所で泊まれればいいと思います。まだもう1通ぐらいは手紙を出せるとおもいます。



北爪遊峰 様
     垣見一雅

94.9.9

 831日に投函なさった手紙が、8日間でカトマンズに着きました。お手紙」は「カトマンズ着日時等、決定次第すぐに手紙を差し上げます」と書いてありました。ことによると、この手紙とどこか洋上ですれちがうかも知れませんが、12日に村に戻り、930日に再びカトマンズへ戻り、101日に空港でお迎えするつもりですが、到着日が変更になっても、最終決定の手紙が無事に私のところに着けば、その日に合わせて空港まで参りますので、ご安心下さい。

カトマンズで世話をしてくれる
2人の友人の電話番号、そしてホテルも書いておきます。

いいいホテルはいくらでもありますので、もしご希望がありましたら1泊どの位とご指定いただければ予約しておきます。やはり最終確認は村へいただいたほうがわかりやすいかもしれません。

9月12日ドリマラ村へ行く予定でしたが都合で13日バスに乗ろうとしたら、がけ崩れの為に普通。途中で足止めを喰うよりは運が良かったかも知れません。(この後旅行のスケジュールのこと)ことの外の猛暑だったとの事、その分だけ秋風の涼しさは一入ではないでしょうか。

日本からのどの手紙にも夏の暑かったことが書いてありある友人の手紙には、体温調節機能を超えた暑さとありました。カトマンズの朝夕は涼しく、明け方は慮寒ささえ感じます。いらっしゃる頃は天気も一緒に大歓迎してくれると思います。


北爪遊峰 様
     垣見一雅

94.9.27来信


 本日917日、手紙をカトマンズで拝見しました。到着便を確認しました。10月1日RA401便ですね。これは3回程私も乗っている便で、日本からですと、途中泊まらずに来られる利点があります。空港へまいりますのでご安心下さい。

実は913日には村へ帰るはずだったのですが、大規模な崖くずれのため、幹線道路が切断されカトマンズで足どめを喰っています。

そんなわけで、早く着いた手紙を今日読むことができました。これで必要なことは一応互いに承知することが出来たとおもいます。

数日続いた雨がやっと止み、秋風と秋の空が1年ぶりにもどって来た感じです。昨年の今頃カトマンズへ日本から帰ったそのときの風、秋の空を身体が覚えていてくれます。


     旅を終えて
北爪遊峰 様     垣見一雅
94.11.4〜8の手紙  11・20頃来信

 とんだ幕切れになってしまいました。私のために大変迷惑がかかってしまいました。・お許し下さい。無事に日本にお帰りになったでしょうか?身体に受けた傷はどうですか。日本の病院でチェックされましたかドリマラ村、そしてルンビニをご案内できず、ほんとうに残念でしたが、あんな事故にあいながらお二人が軽傷で済み、予定通りカトマンズを出発できたことがなにより嬉しく思います。お世話すべき私の方がすっかり、あれこれとご配慮いただきほんとうに有難うございました。

今回はぼくは3週間の入院で、すごいことを3つ教えられました。まず第一は人々の好意。村人達が6時間も歩いてきて土で鍛えたグローブのような手を1人々々握りながら、もったいなくて涙がボロボロ.今考えても胸が熱くなります。そして第二、病人あるいは弱い者の痛みがわかったこと。健康に恵まれすぎてきたこの数10年。人も痛みを知ることを

忘れたいました。そして第3、そしは日頃なにげなく行っている諸々の動作が、実に奇跡に近いほどすごいことだと言うことです。ベットから起き上がること、トイレに行って排泄すること。不安なく歩くこと、歯を磨くこと、神仏の配慮がそこにもあったような」気いたらがします。長い間忘れていた感謝の気持ちを想い起こさせてくれた。それは右目と眉の間の5針の傷跡。毎朝顔を洗うたびに事故を想い起こさせ3つのことを教えてくれます。

いまぼくの身体は数10パーセントしか回復していません。「待つ」時間が解決することです。今日は11月8日。お二人の無事帰国の便を見てやっと安心しました。事故に逢いながらネパールにまた行くと書いてあったのば嬉しい。二度行きたくないと書くのが普通です。お身体のあちこちが痛そうですが大丈夫ですか。

入院した全員が退院し、残る一人。それが助骨4本折ったぼくでした。左肺はしぼんで上部にちょこと残り、下部に血液と体液がたまったため、身体に3つ穴をあけ、スパゲッティのようなチューブを3本入れ体液を抜き取る手術をしました。毎日が痛みの闘いだ。


94.11.30受便

北爪遊峰 様     垣見一雅

 ガイドをしてくれたティラック青年がお父さんになりました。ケガも回復しました。便りに書いて下さいましたように、神仏を守ってくれた、目に見えない大きな力を感ぜざるを得ない、ケガはこの辺でちっと体を休めなさ。ということと心得て、その忠告を有り難くちょうだいし,貴重な体験として受け取らせてもらいます。

実は日本から今一人の男性が来て私の友人宅に泊まっています。ネパールの子供達に文房具をあげたい、そんな気持ちで日本でバザーを開き、資金を作ってくれました。

手紙を整理して読み返して見ました。旅への期待がどんなに大きかったか手に取るようにわかります。とんだ幕切れになりましたが、でも5キロ程歩けるようになりました今自分分をふと想い返しながらこんなことを考えました。

 ほし打ち所が悪く、下半身が麻痺してたら、そうなっても誰も責められない3週間たって退院し、バイラワから飛行機にのる途中、バスの落ちた現場を見ました。まだバスはそのままになっていました。

あんな微妙な好都合な落ち方をしている。それがぼくの第1印象でした。もしあれが回転して、谷底まで落ちていたらもっともっと大きな事故になっていたでしょう。神仏の加護ありがたいことです。

実際ぼくは健康に恵まれすぎていたように思います。家族から批判される程人の痛み、病人の苦しみを知らない人間だった。

この事故をきっかけに物の見方が変わるかもしれない。変わらなければこんな尊い体験をさせてもらったから。1ヶ月以上経った今でもまだまだ半病人のような頼りなさ。

今ではバス停から22キロのドリマラ村までザックを背負って4時間半歩きとうす自身はありません。別便でこんどの旅の費用を書き出してみました。この位の旅ができれば立派なバジット・トラベラーです。


94.12.上旬 来信

 お元気でしょうか?返すがえすも残念も後半の旅になってしまいましたが起こったことはどすることも出来ません神の加護を思い、何かを学び取ることが肝要と思います。事故が有ったにもかかわらず、「又行きますよ。」と書いて下さった事が何よりの救いです。

今度は3月のラリーグラス(しゃくなげ、ネパールの国の花)の燃えるゴレバにはどうですか。それともちっと渋く、村々を訪ねるのもいいかも、ドリマラ村へ直行して下さい。22日にやっと村に戻ることが出来ました.北爪さんからのプレゼントを村人達に渡すためです。

カトマンズの病院で検査してもらったところ,肋骨は6本、そのうち2本は2箇所折れているとのこと。これから村に戻り、身体障害児を連れて、タンセンの病院へ診てもらいに行きます。彼らに1条の希望の光がさしてくれるといいのですが。村から22キロの道を歩くことができました。痛みはまだ消えていません。時が治してくれると言う医者の言葉を信じたいと思います。

95.1.来信

お二人からの手紙を、何回も読み返させていただきました。くり返し私の体のご心配をいただきながら、暖かい春になればきっと全快するのではないか。それまでゆっくり待ちましょう。村に帰った時は独り寒い寝袋の中で嬉しさがこみ上げて涙が出てしまいました。ご好意本当に有難うございました。ドリマラ村で新年を迎えることができます。ごきげんよう

95.1.20 来信


 あと少しでこの体験を1つの思い出話として家族に話せる時が来るでしょう。帰国は3月の初旬になると思います。ぜひ又三宅島あのすばらしい自然、そして奥様の手料理を楽しみにしています。体のことは自分が1番よく知っているくせに、医者の言葉には不思議な力が有るものです。

ふとんの写真を見ていただいたと思いますが、後ろに座っているのがティラック(ガイド青年)です。彼もすっかり元どうりになり、今は素晴らしい父親ぶりで毎日赤ちゃんを抱きこんなに子供が可愛いと思わなかったと言っています。

俺を夜になると泣いて悩ますなどと言いながら、結構嬉しそうですよ。タンセンの病院へは退院した後,障害児を連れて2度訪問しました。

間もなく2人の少年の手術が行われます。教育環境をすこしでも改善できればと思ってこの村にやって来ました。ところが実際に村々を歩いていると、あちこち貧困の悲劇があることがわかりました。

盲目の少年、聴力を失った少女、足が萎えて歩けない少年、火傷で手指が全部溶けてしまった幼児。らい病で両手のない老女、両足とも麻痺している女性、病院で手術をすることが可能だから、カトマンズに行くように言われても、治療どころか、カトマンズに行くバス代も、宿泊代もない。

そのままになっている。あの事故で、そんな弱い立場の人の痛み、苦しみ、悲しみの1部分を知ったようなきがします。ベットに起き上がることすら出来なかった自分を想い起こし、その悲しみを想い出すと、彼らにたとえどんなチャンスでもと思い始め、友人達に呼びかけ協力を頼んでいます。

今、身体障害児へのトレーニングセンターができないか。そしてそこで作ったものを日本で展示会のような形で、年に一、二回売ることができないか。少し意地になって考え始めました。けなげに一生懸命生きている姿は、僕の手本のようなもの。たくましさも、したたかさも僕にはないものなのです。

教育環境で始まり今、2号校舎が出来上がり、3号、4号が進行中です。そして身体障害児問題は、命との闘いかも知れない。自立できないとまわりもせつない、自分もみじめです。もしトレーニングセンターができたら、ことによると僕が身体障害爺になって、そのセンターの世話になるかも知れませんね。

95年、センター設立というアイデアの目標を持っています.果たしてうまくいくか。とにかく行動を起こしてみたいと思います。灯油が無くなったようです。日本もすっかり寒くなったようですね。・どうぞお体を大切に。できなかったあれこれの動作が知らぬ間にできるようになって来ました。

95.1.下旬来信

 懐かしく心を躍らせてくれる沢山の写真ありがとうございました。どの1枚も2ヶ月前に時を遡らせてくれます。特に衝撃のバス事故のもの、プーンヒルの丘から見たヒマラヤの山並も美しさ、一期一会、この時ふと頭に浮かんだ言葉でした。その覚悟で人と会い、物を見、感じていくことが大事なのですね。

北爪さん風邪はもうすっかり抜けましたか。海に潜る逆療法とは凄いことを考えましたね、賭けですね、精神の強い証拠です。私も村歩きができるようになって左の背中の痛みが取れたら、事故が懐かしい思い出になるでしょう。たくさんのこと教えてもらいました。

95.2.来信

 2通のお便りありがとうございました。また5枚の写真も頂ました。それから「閑話休題」と書かれた賀状もありがとう御座いました。お2人とも完治宣言ができているようで、本当によかったですね。怪我を克服して以前に増して体がしっかりしたようだ、とのこと事実だと思います。精神力が鍛えたのでしょうか。

それにしても12月の海に潜るという頑固な体に敬服しています。ティラック(ガイド青年)の子の誕生祝いをして下さるとありましたが五百円ぐらいのものでいいと思います。金額を指定していただければ、私がタンセンに
行ったとき買って渡します。

日本から送ると郵送料が馬鹿になりませんから、「この大自然が自己であり、仏であり神であると自覚するところまでゆきたい」という実感はときどき持てることがありますが、「自己である」ということはわかりません。そしてさらに、「遠ざかっていると心まで離れてしまいはしないか。」とも書かれてありました。ほんとうにそうです。

そんな離れかたを今までいく度か味わっています。僕の場合外国に行くとそこに友人がいることが多いのですが遠ざからないように、折に触れて便りをしてます。「今年も暮れようとしています。実のところ滅入っています。なんでしょうこの気持ちは・・」という部分を読んで、変な言い方ですが、安心しています。

皆さんそうなんだ。ぼくだけじゃない。そんなわけもわからぬ淋しさに襲われることがあります。ある本でその淋しさを原罪と言っていました。ドリマラ村は寒く朝夕はいろりにかじりつくのがほとんどです。2つの校舎が完成し、さらに4つが進行中。

あちこちの村のリーダーが訪れてくるようになりました。石段をいっぺんに2段づつ登っている自分に気づいています。

95.2.下旬来信


 お手紙を2月6日ドリマラ村でいただきました。今日は何の加減か手紙に潮の匂いを感じたり、お2人の島の姿を想い浮かべたりしながら懐かしく読ませて頂ました。便りを沢山いただくと、いつもそばで話をしているような気持ちになります。外国にいますと故郷の便りはとても嬉しいもので、いつも感謝しています。

震災の様子詳しくお知らせ下さいましてありがとうございました。私はこの1ヶ月ほとんど毎日寝床が変わる生活でした。

村々を歩き障害児に、これでもか、これでもかというほど会い、その度に胸がつまる思いをしてきました。初め親を責めていましたが、病院に連れて行かなかった、実際は行けなかった悔恨の涙を見ると責めることができなくなっています。

親も切ない、子もあわれとしみじみ思うのです。今は過去のことはどうでもいい、子供の将来にたとえばどんな小さな希望でも持ってもらえば、と思うようになりました。何千、何万人いるかわからない障害児、ぼくが歩き廻ってもたかが知れている。こうしている時実は僕の心の支えになっている話を想いい出します。

ある高僧(1休さんかも知れません)が秋、落ち葉の散る中を1枚又1枚と葉を拾い集めていた。そのとき小坊主が「和尚さんいくら拾っても又落ちてきて無駄なことです、あとで私達が掃除をしますから、そのままのしといて下さい。」という.その時僧が
(今1枚拾えば1枚分だけきれいになる。)と言ったという話。

僕はこの話が大好きでとても励まされるんです。何万分の1でもいい。無駄な事のようですが、障害児の父親、母親に喜びを与えてもらっています。
(我が家に朝日が差して来た)と言った父親。

「僕達がこの山奥の村で生きていることを忘れないで下さいね。」と僕の目をじっと見て、僕の両手を握りしめた父親。「夢が持てるような気がする」と言った3人の小児麻痺児を持つ母親。うれしい言葉でした。胸が熱くなってしまいました。

「世界の人々が平和にならない限り、自分の幸せは有り得ない。」と言って人。すごい言葉ですね。僕もそう思える人間になりたいです。

ところで4日程前、私達が事故に会った所から10キロ程離れた所で、バスの大事故が有りました。150メートルほど谷底迄落ち、48人の乗客のうち44人が死亡したとの事。人の命は、平家物語の冒険の1部「ひとえに風の前のちりに同じ」をふと思い出しました。

年賀状の「閑話休題」の意味を僕はこんな意味にとりました。「むだな生き方はそろそろ止め、本物の生き方をこれからしよう。」と。

今ドリマラ村で四.五歳児に英語を実験的に教えています。僕も教えてみました。でも若い先生には勝てない。彼の元気なエネルギーの魂のような体と声、情熱には参ったと退散しました。そして今僕はネパール語のわからないもどかしさ、淋しさを心の底から味あわされています。怠けている自分に腹立ちさを感じながら

今、三宅島はどんな様子ですか。寒さは少しずつ遠のいているのでないでしょうか。ネパールの村は農閑期で、結婚シーズン。あちこちで若いカップルが誕生しています。昨日も20歳と18歳のカップルを祝ってきました。懐かしさと羨ましさを感じながら

今年は村歩きで始まり、毎日寝床が違います。次々に新しい村、新しい人が僕の心に刻まれています。問題点はいずれも同じ貧困がその根底にあるのです。

でもその明るさ、たくましさを見ていると人間てすごいな、とつくづく感心させられ、けなげさ、いじらしさに胸が熱くなり、自分の弱さなさけなさをいやと言う程知らされています。自動車対足、電気対足、電気対ランプ、テレビ対家庭団らん、人工の音対小鳥。

牛の声、そして静寂、闇、自然食品などなど、どっちが人間の幸福と本当に深くかかわっているか考えさせられています。僕は今、身障者特に子供達に目が向いています。

あの事故が教えてくれた、弱い立場にいる者の痛み、人の悲しみが少しわかってきたのでしょうか。損得を考え方の基礎にするならば、これは明らかに損。学校を建てれば30人、100人と恩恵をこうむるが、身障者では、ほんの囲りの人間と本人だけ。でも深さを考えるといちがいに言えないないかも知れない。こんな気持ちで村々の障害児に会ってます。5人手術が終わりました。ある父親は感動の気持ちをゆで玉子で歓迎してくれました。

自己満足良くこの言葉が浮かんできます。それでもいい。ネパールの友人もあまり賛成していない。僕はあの事故がなかったらまだ損得で考えていたかも知れません。5つの学校が小さいながらも建った。これはすべて皆さんの協力のおかげです。

婦人学級も3つ本格的に始まりました。乳を幼児に与えながら勉強する母親。貧しさのための休んでいた子供達が30人学校に通っています。村には若い2人の先生の指導で、今までなかったような学校を作りました。

4〜6児に英語教えています。こんな山奥にと思いながら、子供は早く覚えるので実験的に暫くやってみようと思います。3月初旬に1時帰国するつもりです。たくさんの問題をかかえているネパール。

特に山村には問題が山積みしています。独り山道を歩いていると変な錯覚に陥ることがある。映画でもみているのか、ほんのわずかの間神仏のはからいで、極楽を見せてもらっているのか、ほんとうに現実なのかっいぇ

1月22日ドリマラ村をでるつもりです。

95.2.28


その後お元気でしょうか。怪我の方はすっかり過去のものとなりましたか、後遺症はっていませんか。今いろりの火で書いているので、無意識のうちに字が大きくなります。こうしている時、宿の人がランプの灯を手で近くにかざしてくれている、この頃は1人で村歩きが出来るようになりましたが、言葉がほとんどできないため、それこそ悲哀を味あされています。

言葉の重要性をいやといゆほど味わいながら、気のせいであることはわかっていても軽蔑のまなざしを受けているように感じるですよ。誤解を生じ、悲哀を味わい、独りぼっちもそれに加わる。


こんな山奥の村に英語だけで入り,住もうなどというのが、そもそも間違いだ。本当に情けなくなりますね。

今タンセンのホテルへ来ました。この手紙は山奥の村で書き始め,書き次いでいます。いつも泊まるホテルは四十ルピー(370円位)のホテル。

清潔で、明るくてこの部屋にはいった時、まぶしくてお金のありがたをつくずく思いました。この2ヶ月ほとんど寝床が変かわって、寝袋であちこち寝ました。今ではどこでもすやすやと」ねることができ、暗い中でもごはんをおいしく食べることが出来ます.、ありがたいことです。

もっともっと悪い環境で生活するようになると、きっとなんでも感謝できるようになるでしょうね。物欲を捨てていくと、その文だけ心が満たされていくのかも知れません。

良寛さんの(欲し無ければ1切足り、求むルありて万事窮す。)僕は自分なりの解釈なのですが、とても好きな言葉です。

あの事故以来、身体障害児、弱い立場の人々のことが少し理解できるようになったのはいいのですが、困ったことがでています。そのことについては、帰国して温かくなっている三宅島で、静かな日をすごさせていただきながら、ゆっくり話させて下さい。

ドリマラ村から最終便。(平成7年3月帰国され、4月2日から4日間三宅島に来られました。多忙な毎日を送って、5月ネパールへ帰っていかれました。今もドリマラ村から文通を続けています。)


平成8年4月、妻と2人3回目のネパールを訪問することが出来ました。このたびを中心に文通した1年余りの、垣見さんからの手紙を紹介します。

(この前も2回に渡り「大雄」に紹介させて頂きました。)手紙の文中省略したり、割愛した部分が沢山ありますが、電灯もない山のドリマラ村のテントの中で、また家の軒下出寸暇を惜しんで書き綴った手紙の中に、垣見さんの心を読み取って頂けるものと思います。

また本当の意味のボランティァとは何かを、感じ取っていただけるものと思います。

(平成8年8月15日)

95.5.22 来信

5月7日午後7時20分、カトマンズ空港に無事到着しました。初夏の涼風が気持ちよく通り過ぎていきます。ネパールを離れて、わずか2ヶ月しか経っていないのに懐かしさが込み上げてきました。やっと戻ってきた。自分の古巣へ戻ったような安心感に包まれていました。

お元気ですか。カトマンズの真昼の日差しは海を恋しくさせる程暑いですよ。日本滞在中、そして三宅島の3泊4日、どうしてこんなに時の流れが早いのか。あっという間でした。来年の3月はラリグラス(しゃくなげネパールの国家)のゴレバ二峠をトレッキング、体調を整えて元気に登りましょう。

今日は安着のお知らせ及びご支援のお礼とさせて頂きます。さようなら

95.6.13来信

 日本カトマンズ。タンセン。そしてドリマラ村と次第に文明から遠ざかった処へやっと戻ってこられたという道のりでした。そして3日目、日本から第1報それが、北爪さんからの便りでした。遠くの村々を見下ろしながら気持ちのいい山路に腰を下ろして読ませて頂きました。

3ヶ月ぶりの帰村、人々が待っていてくれました。日本の皆さんのご好意を、どのような形でももっと有効に使わせて頂こうかと考えながら又村歩きを始めます。今僕のいる丘は数ヶ月前とかわらず、小鳥の声、濃さを増していく緑の木々、一日一日山が大きくなるようです。間もなく雨期に入ると加速がつき、山が大きく脹くらんできます。物欲を退治するには最適な所かもしれません。

うまくいえませんが、わけもわからない空しさと直面させられるときがあります。来年の3月ラリグラスのトレッキング、天候に恵まれるといいですね、きょうはこのへんで。

トンボが舞うネパールの山奥より(6.1.ドリマラ村にて投函)

96.6.24


お元気でしょうか。今日は同封しましたティラック(垣見さんの村の友人)愛娘ちゃんの写真です。

出産祝い5百円なかから白い洋服を買わせていただきました。・この村に同じぐらいの子が今4人います。見るたびに、まさに神の化身を想わせるほど、ぼくの心が洗われます。今農繁期の上の、道路の拡張工事で毎日泥まみれで働いています。簡単ながら今日はお知らせのみとさせて下さい。


4日ぶりの陽射しの中で、ドリマラ村より。

95.7.10


 6月15日付けの手紙と美術展出品の写真27日、村で頂きました。「展覧会の会費をネパールの人々のために使えたら」と書いてあったのには頭が下がります。ネパールの人が知ったらどんなに喜ぶでしょう。

僕がカトマンズで贅沢の1つとして飲んでいるコーヒー、12ルピー(24円)で1キロの米が買える。実は去年日本に戻ったとき、友人達に言いました。

「ネパールでいろんなことを見ていると、今までの自分の金の使いかたが愚かに見える。レストランで夕食にビールを飲み4千、5千円払うことがある。僕はそれが今、できない。」と、そして3ヶ月で貯めたお金が1万2千円をもって村へ帰ったんです。6月でした。村のほとんどの家で前年の10月に取れた米はない。とうもろこしも尽きている。

買えない人はあちこちへ1時間、2時間と歩いて借りに行く。それでも借りられる人はまだいいのです。前の返済をしている人は借りることもできない。村に持っていった1万2千円円で5百キロの米を」買うことができました。翌日は」「たっぷり食べられた。」と子供の様子を語る親達。

「ありがとう」と言ってくれた村人達。ありがとうを言いたいのは僕の方です。生きる厳しさを、そして喜びを、1万2千円がどの位活きるかを教えてくれたは村人たちなんですから。

自然に惹かれて初めて訪れたネパール。劣悪な条件の中でけなげに生きている村人達への薄っぺらな同情。それがいつしか、彼らのたくましさ、優しさ、温かさい対する尊敬となり、そしてそうな宝のような気持ちが、今恩返しのような気持ちになってきているように思います。

I have given them things but they gave me soul (ぼくは彼らに物をあげた。しかし彼らは僕に魂をくれたのです。)

今田植えどき、どこの家も忙しそうです。日本は経済的に豊かになっても、人の心は逆に貧しくなっていく。ドリマラ村は物に恵まれないのに、温かさはいつも感じられる。おもしろいものです。

雨上がりで野を通ってくる風のすがすがしさ、三宅島でもきっと感じられておられるでしょう。村歩きをしていると、書き出したら際限がない程、さまざまなことが見えてきます。

あと10日程で、一時カトマンズへ行きます。山道は小規模ながらあちこでがけ崩れがあり、川の水が増し対岸へ渡るのも一苦労。10月のある透き通る空が見られ、ヒマールが顔を出してくれるまでしばらくかかります。6月27日ドリマラ村より

 追伸 OK BojiOKおじさん)今はこの名で村人が覚えてくれています。本名

より知ってくれてるので、次回からこの宛名でいただければ幸いです。

95,8,15来信


 ごぶさたしてます。お元気でしょうか。もうすかり三宅島も夏でしょうね。

予定を3週間近く切り上げて、カトマンズに7月10日に戻って来ました。村はコレラ騒ぎ2人死亡。のみに責められ、さらに下痢で5キロ体重が減少軟弱さをすっかり暴露してしまいましちゃ(私共の奨学支援の少年のことについて)

2ヶ月間カトマンズで栄養の補給をしようと思っています。カルシウム、ビタミン不足は体にどんな変化をあたえるのか、それとも夏の暑さそせいか、体が重く力が出ない。去年の事故が尾を引いているとは思いませんが、体が疲れている。

10月ヒマールの姿が見える頃には体もしっかりしてくるでしょう。7月
)16日からほんとうに久し振りに「習う」ことの新鮮さを味わいました。毎朝6時半家を出て30分歩き、ネパール語の学校に通っています。やっと少々やる気が出て着ました。

遅まきながら言葉の出来ないことのもどかしさ、そして悲哀を痛切に感じ始め、カトマンズにいる2ヶ月学校に通うことを決めました。中学1年生になったその新鮮さが、とてもいいことをしているような気持ちです。

それにしても忘却と闘う毎日、1つ単語を覚えると翌日は、2つ忘れている。そんな闘い。単語帳を片手にカトマンズからパタンまで通っているピカピカの1年生をご想像下さい。

・9月15日に村へ戻る予定です。ごきげんよう、カトマンズより

95,11.2来信


 6月26日付の手紙と写真が、2ヶ月ぶりに戻った村で待っててtくれました。さわやかな秋が、いよいよこの村にもやって来ました。

澄んだ空気の向うにダウラギリが顔を出しています。去年のことをあれこれ想い浮かべながら、過ぎて行った時のことを速さを感じます。

(友人のたちのことについて)便所の話のことですが人糞がこやしになることは彼らも知っていました。ただ人糞を肥料にする習慣がなく、家畜の糞だけを畑に用いています。いあままでトイレがなかったが、村のあちこちに今のトイレができ始めています。

その穴が1杯になると、そこにレモンの木、りんごの木などを植えている村があり、いい肥料になっていることは知っているようです。今日はこの辺で失礼させていただきます。

ごきげんよう、さようなら9・20村
)より

95.11.15来信


お元気でしょうか、この手紙を今書いている理由は手紙の最後におわかりいただけると思います。去年の今頃はまだ、タンセンの病院で痛みと闘っていました。あれから1年、ある種の感慨をもちながらの山旅です。

特別の後遺症もなく、こうして歩いていられる事がとても有り難く不思議な気持ちです(垣見さんの山旅は18日間歩き続けるアンナプルナ1周でした。これは過酷な旅です。1年前私達共々,お釈迦様の誕生の地ルンビニへお参りに行く途中、乗ったバスが崖から転落。

奇跡的に助かり、3週間入院したのでした。垣見さんが最も重症で、肋骨を6本折る大怪我でした。それから立ち直る、心身共に自分の力を試す1人旅であったろうと思います。

歩きながら三宅島に思いを馳せたり、途中で逢ったりトレッカー達のこと、さまざまな体験、想い、考えたこと、場所によって、天候によって山々が色々の顔を見せてくれること、トレッキングのやり方、気持ちの持ち方などどこまごま書いてありました。)この山旅から教えてもらったこと、学んだことが有ります。

昔のあるところで読んだ記事にアメリカの74歳のおばあさんのことが出ていました。4千数百キロを歩き通したおばあさん。記者会見で(どの辺が最も大変でしたか)と質問された時(初めの第1歩)僕はこの言葉がとても好きです。ほとんどこの1歩で決まってしまう。

第1歩が出ればあとは自然についてくる。簡単な1歩。でも、最も困難な1歩です。お2人の幸せを祈りながら山旅を終えたポカラからごあいさつとさせていただきます。

ごきげんよう。さようなら(10.28出)

95.12.28


 お便り有難う御座いました。・ギリシャ・イタリヤの他三国の旅はいかがでしたか。相変わらずのお二人の若さには思わずうなってしまいます。

北爪さんからの手紙ですっかり褒められてしまって恥ずかしく思っております。そんなふうに見られたら俺はまさに偽善者だって情けない自分、だめな自分は自分が一番よく知っているのですから。人は無いものねだりするもの、今一番欠けているいる物がほしい。

それは「優しさ。」村人たちがあちこちで見せてくれる明るさ、温かな言葉に、凄いと、うなってしまう。大学教育って何だったのか。何も学んでいない自分が恥ずかしくなる。字も読めない,書けない村人達が神や仏に見えてくる。不思議なものです。

OKバジ 人間の復習をしばらくしろ)って言われているようです。三宅島の夏の旱魃、台風の襲来大変でしたね。

11月10日ドリマラ村も異常な雨で大事件でした。自然という時折異常な動きをする、神仏の警告かもしれません。来年3月のネパールの旅のメインは、ラリグラスのゴレバ二峠でしたね。

会うたびごとにガイド達に聞いていますが、3月末から4月が良いというのが標準の答えです。4月の初めはどうですか。私の帰国日が決定次第詳しい日程を立てたいと思います、どんな旅にしたいかご遠慮なくお書きください。私の気持ちとしては、時間との闘いにまらない日程がいいと思います。

あれもこれもとなると、写真を撮って終わってしまう。心の旅、感動の旅ができないと思います。題して(時を越える旅。)とか
(時間を忘れ旅)はどうですか。ネパールに来てからの日程は日本でお会いした時に決めたいと思います。

1995年とももうお別れ、歳月の流れの速さにあせりを感じ、なにかわけのわからない虚しささえ残ってしまいます。「1日1日をいい日に」と思いながら、なかなか難しいものです。それではまた、さようなら

6.1.16来信


ごていねいな手紙、そして写真をありがとう私の、「ネパールからの手紙」が活字になるなど、めったにないことです。作文のテストでもされているような怖さがありますが、楽しみにしています。

96年はどんな新しい自然に会い、人に会い、そして言葉に出合うでしょうか。いよいよネパールのラリグラスの旅が実現しますね。ごきげんよう

96.2.10来信


「大雄」そしてお便りありがとうございました。さっそく読ませて頂きました。1年前お二人がネパールに来られる前の手紙の往復のやりとりを想い起こしながら、懐かしくなりました。夢のいろんなことがありましたね。でも、こうして便りの交換ができる、ありがたいことです。私のつまらぬ手紙を取っておいて頂、さらにこのようなすうばらしい「大雄」誌に乗せて頂き、さらに新年号、なにかすごい新年の幕開けのような気がします。

有難う御座いました。身体障害児18人、そしてその保護者と共にカトマンズに行き、予定より1週間遅れて村に戻りました。すっかりお便りが遅れてしまいました。

北爪さんもすっかり元気なのですね。体が丈夫なので心も若くいられる。逆に心を若く保てばあるいは体も若くいられる。そん気もします。

でも、僕の場合はやはり体が先、体調がよくないときは考えも消極的になり、夢も広がってくれません。

阪神大震災のとき、北爪さんは「ただおろおろして泪していた。」ありましたが、他人の痛み、悲しみを自分のこととして受け止めていた。

口先だけで身障者にチャンスを与えたいなどと、病院へ連れていったり、右住左住している自分がこっけいになってきます。自分の息子、娘、さらに自分自身として受け止めなくてはならないのでしょうね。

でも不思議なことに、身障者の問題に当たっていると、学校建設とか」、奨学金の援助とかいっているのは恵まれた話。そっちはちょっとまってくれって言いたくなる。命が先、あの子は眼が見えるようになるのが先、あの子が歩けるようになるのが先、そんなきがしてきます。

今年は大、小含めて70件ほどの問題を抱えてしまいました。よせばいいのに自分の器量も財力も考えずに、村々を歩き廻ってのことです。

村人達がくれた温かさ、優しさへのほんの1部の恩返し、さてどこまでできるのでしょうか。今ヒマールの見えるドリマラ村の丘にいます。「大雄」を何度も読ませて頂ました。あの中に事故に逢ったあと3つのことを教えてもらった。というくだり、その一つに人の痛み、弱者の立場というのがありましたね。

息子に言われました。「お父さんは人の痛みまだわからない」と、そうですね。いつも丈夫なな僕が3週間位の入院で、体の自由を奪われたぐらいわかるはずはないでしょう。

でも今、回復の見込み

を断ち切られた子供達でも、生きる力を持って入る。生きる権利は当然のこと、どんな体の自由を奪われても、生きている事実が厳然としてそこにある。

世の中の名医が集ても彼等の体の1部だって創ることはできない。体の機能が不自由でも、やはりそこには神仏が宿っているのではないかなあ。って想像しています。そう思うと粗末にできない。

いま気になる1通の父親からの手紙が手元にあります。「私の息子の心臓には6mmの穴があります。放っておけば命の保障は出来ないと医者が言ってます。手術を出来るだけ早くやるように言われていますが、手術がありません。助けてください。子供に命を下さい。」こんな手紙が舞い込んだら北爪さんならどうしますか。

今年の2月28日、垣見さんは帰国し、援助をしてくれる人達の所へ休む暇もなく、精力的に回り、また三宅島にもきてくれました。3月27日関西空港からカトマンズへ立ちました。私共2人もお供致しました。

ネパール行きは3度目です。1週間のラリーグラスを見る山旅。ポカラからビレタンティ、ゴレバに峠、バンタンティ,ガンドルンダンプスという900メートルから3200メートルを登り降りする、かなり厳しいトレッキングでした。

トレッキングを無事に終え、これからか垣見さんの住むドリマラ村へ、ボランティァのお手伝いの真似事をしに行き、ルンビニーをお参りして、4月19日私共2人は帰国する予定でした。

ドリマラ村に行く途中のタンセン近くの山路で、妻が吐血。やむなく村への訪問は中止となりましたが、運良く病院に入院することができました。

この病院はタンセンのミッション・ホスピタル.以前に岩村昇ドクターがボランティァをやっていた所で、2年前、私共の乗ったバスが崖から落ちた時、入院した病院でした.不思議な縁です。

96.5・20


洋上のどこかで、2通の手紙が行き違いになっているのを想像しながら、この便りを書いております。(無事に帰国されたかの心使い)2週間の村歩きに出かけて4日目。

何処かの村もさまざまな問題を抱えていながら、生活しています。その素朴でけなげな姿は、いま僕の行き方の手本です。貧困」の村を見ていると、こんな風になっても人間は生きていかなくてはならない.哀しみがこみあげてくる。

そんな姿を見せてもらうことがありがたいのです。自分の甘さを、そしてぜいたく、我が儘をしらされ、教えされます。どんな解決法があるのか。無力さを感じざるをえられません。

村を廻ったあと、北爪さん、同窓会の方からのご支援を、どう使わせて頂くか決めたいと思います。今、トレッキングの1日1日を日記で追いかけてました。

あの長くて倹しい登り降りの道をよく歩いて下さったと感謝しております。ありがとうございました(5.1出)

96.5.15来信


たくさんのご好意を本当に有難うございました。村人達やロス君、ゴパール君
(垣見さんの友人)にまで配慮、有り難く頂かせていただきました。

先ず、奥様お身体の方は、如何でしょうか。空港をでてから3人で(ロス。ゴパール))自分達のいたらなかった点、そして無理はなかったか、私自身考えています。しかし本当に良く歩きましたね。思いでは尽きません。バッサン(ガイドの青年)もお二人の健脚ぶりを褒めていました。僕はいつも、旅するとき無理をするに良い所を1つ残しておくんです。残った1つの為次の旅を予定する。そんな時が、僕には意外と楽しく感じられるです。夢がそこに残っているのが嬉しいです。旅の疲れを三宅の海が癒やしてくれるのでしょうか。三宅の海はどんな海でしょうか。ゆっくり休みながら、ネパールの旅を想い起こしてください。ごきげんようさようなら

96.5.15来信


成田へ無事につかれたとの手紙を村で頂ました。安心しました。こんなに早く便りを頂くとは思っていませんでした。というのは奥様の検査、その他でさぞ忙しいと思っていましたし、時間もかかるし、それより気ぜわしさで便りを書くのはなかなか出来ないものです。お二人の気力、迫力には

参りました。検査の結果はきっとO。ただ1時間の疲れと確信してます。

素足にゾウリ履きというスタイルで3千メートル級の山と、1週間に渡る距離を歩かれたという事実は、確かに自身につながったと思います。1つの思い出いうだけでなく、モニメントのように想いでが輝いてくるようです。ゾウリでゴレパ二トレッキング。めったにこんな人はいませんよ。

春真っ盛りの日本も、きっと、あのラリーグラスに負けない華やかさだろうと想像しながら便りを書いています。ローソクの灯が暗く、知らぬ間に字が大きくなってしまいます。

2つ目の陸の孤島を訪れ、さらに新しい2つの村が、僕の小さな村歩きの歴史に残りました。新しい村はいつも、なにかに惹きつけます。星をみながら軒下に寝かせてもらうのが、今は習慣になり、空気」が汚れた肺をすっかり洗い流してくれる。

満月でも北斗七星ははっきり見えるですよ「大雄」の2を楽しみにしてます。北爪さんも島であれこれお仕事をなさっている様子、頭が下がります。自分は体力があると思っても村人とは比較にならず、マラソンに夢中になっていた頃が懐かしくなります。

(支援金の使途及び領収などについて)奥様がタンセンに行く途中、吐血され、ロキシー
()を飲んだバジ(おじさん)に背負われて、山道を登ったときのことを、古い民話の世界の様と表現された感性のすばらしさを感じて降ります。

今までの手紙のなかにも、他の人にない何かを、ふと感じさせてくれるものが、たびたび」ありました。そして、さらにその民話の世界を貴い体験として甘受されたところが、さすがとまた1ち学ばせていただいた次第です。今日はこの辺でごきげんよう。

96.5.31来信

5月27日付けの手紙を、1週間の村歩きから帰った今日、村で頂ました。有難うございました。(奨学支援のこと)日本に行けば簡単にお金が入るという安易な考えが、ネパール人にあります。(みなさん)特別な事情がないかぎりお金をかすことはなさらないで下さい。時々起こるこの種の甘え、厚かましさにうんざりすることもあります。ドリマラ村で

生野菜と言えば、今は玉ねぎだけ。これから先も玉ねぎ。ときどきトマトも入りますが。今日はこの辺で、ごきげんよう。

96.6.15

すばらしい詩です。自分に忠実に書かれています。お二人とも検査の結果たいしたことなくOKでよかったですねこれで次の旅へ安心して踏み出せるではないですか。

近頃、村を歩いてるとき、ある小さな村の青年が呟くようにいいました。「外国からの支援はいつも大きな村ばかり。受益者の多い所に集中してしまう。本当に困っているのは弱者の僕達、困っている人に支援して下さい。」と、今、支援を決めるときの判断基準は損得だけ。どうつかったらネパールの将来に利益が大きいかを考えなくてはならないと思います。

今、ドリマラ村のユースクラブの諸君に、こう頼んだです。「すばらしい建物を建てる前に、その日の米に困らないこと。それとこの村から病人を少なくする事。

この2つが、できればそれだけすごい」って。ユースクラブの諸君と週2回、ミーティングを開き、村の将来について暗中模索中、でもすこしづつ変わっているを感じます。「大雄」来るのを楽しみにしてます。

(追伸)最近、時々手紙の封が開けられていますので、大切なものは入れないで下さい。さようなら

96.7.1来信
6月3日付け「大雄」を乗せた便が超特急で村へ飛んできてくれました。有難う御座いました。婦人教室がレットバーナーというノールウェーのNGC(民間海外援助団体)によって、2年間開かれ、婦人達も基礎的な読み書きができるようになりました。

今、援助は打ち切られた状態ですが、このままま彼女達の熱意を大切に続けられればと、支援する事にしました.易しい20冊ほどのネパール民話のような物語を寄付した所、とても興味を示してくれています。読むチャンスを作ることで、今まで覚えた字を反復し、少しづつ難しいものを読めるようになることを、期待してます。(奨学金援助の学生について)


勉強は本と友人と自然から。今、村を歩きながらその意味が、わかったような気がします。そして吉川栄治氏、の「我以外皆我師」という姿勢で生きているような努力をしながらも、

「我」を出し「自分は自分は」になってしまおます。

食べ物といえばこれから4ヶ月程、とうもろこしがみのるまでの期間、村人にとって毎年のことながら辛いところです。去年の作物はすっかり食べつくしているので買わなくてはならない。お金がないので結局、米を店から借りるわけです。

年利36%、ばかにならない高利です。今村のある家でごはんをいただいているです.ムットする灯油の臭いのするご飯。・数人の客がいたけども誰も何とも言わない。あとで「今日のご飯灯油の臭いがした」と言ったら
「知ってる」という
「とりかえてもらえばいいの」と言うと、
「そう言ったら次に米をもう貸してもらえない。」
と言う家の人皆が食べているのに、

僕だけその理由で食事を断るのは、なにかひ弱さとぜいたくさを感じて、今でも食べにいってます。こんな時思い出す言葉、「この世に客に来たと思え」好きな言葉の1つです。

96.7.19来信
お元気でいらしゃいますか。三宅の海も海水浴で賑わうころでしょうね。6月26日、ひとまず、村に別れをつげカトマンズに向います。ネパールはすっかり緑が増し山が、畑が)膨らんで見えます。村人が待ちわびた雨が降ったその」翌日から、とうもろこしが見る見る大きくなり、今は僕の背より高くなってます。

日照りで元気のなかったとうもろこしが、こんなにと信じられない程です。生命の不思議さを思わずにはいられません。(支援のお金で、学校の屋根を芽ぶきから、トタンに張り替えたこと、同窓会からの、支援感謝のことなど)7,8月はカトマンズに滞在し、栄養を補給し力をつけてまた、村に帰ります。ごきげんよう。

96.8.13

長い心のこもったお便りをほんとうにありがとうぎざいまた。村を7月3日に出てきたので,村からカトマンズ転送されてくるまで、3週間かかりました。

「大雄」を読まれた方々の、おほめの言葉を拝見し恥ずかしくなります。僕が今、村でやらせてもらっていることは、本当に小さいことです。東京の電車の中で僕がいすに座っている。その時目の前に体の不自由な人、老人がたまたま来た時、誰もどうぞと席をゆずる。それと同じなんです。そして立ち上がるため必要なエネルギーは、日本の友人がくれている。これだけなんです。

手紙に「私の知人、取り巻く人々がみんないい人なんで、自分が励まされるんです。」と書いてありましたが、同感です。そんなとき、この人もあの人も、知らぬまに心の中で合掌していることがあるんですよ。

特に外国にいますと、色々わからないに出会うそんな時、周りの人達があれこれと助けてくれる。その時です。神仏を感ずるのは(三宅の家で食べた食事に想いを馳せ、普通の食事がおいしかったと書いている。

いかにネパールの普段の食事が、粗末であるかを想像して下さい。)もし、物質的に恵まれると言うだけで、人々が大きな幸せを与えられるとしたら、神の知恵は人間並み。幸せは物ではない。

どんな状態の中にあっても心の持ち方1つで、いろんな事実が全くちがって見えてくるところが面白いところです。ひとりよがりのことを書いてしまいました。ごきげんよ。さようなら8カトマンズより)平成8年8月13日、これから垣見さんに手紙をかきます。

終了