日本の病巣 ひきこもり  夕刊フジ より

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(1)

 自立したはずの社会人がある朝、突然「体が動かなくなった」「会社に行こうにも、家から出られない」―そんな“大人のひきこもり”が、水面下で深刻化している。
 これまで「精神的な疾患の1つ」として診断されたり、「ニート」の中に一緒くたにされたりしてきたひきこもり。しかし、長期化や高齢化が進む中で、その存在は、長らく社会から置き去りにされたまま、いまも増え続けている。

 ひきこもりの社会復帰の支援を続けるNPO法人『「育て上げ」ネット』(東京都立川市)には絶えず、ひきこもりの相談の電話がかかってくる。工藤啓理事長によると、驚いたことに、最近目立つのは40―50代、中年世代のひきこもり。コンビニに買い物に行ったり、昼間、図書館に行ったりはするらしい。妻や、あるいはその親が心配して相談してくるというケースだ。

 「このままでは死に切れない…」と、70歳代の母親から、泣きつかれたこともあったという。

 厚労省は、ニート・フリーター対策で、就職などを支援する「ジョブカフェ」などを設置している。しかし、あくまでも若年者支援。40―50代の子を持つ親が相談に行っても「ハローワークへ行かれたらいかがですか?」と言われ、ハローワークでも「本人が来なければ…」などとたらい回しのように断られる。いったん、社会から離脱した彼らには、行き場はないのが実態のようだ。

 明星大学人文学部の高塚雄介教授(臨床心理学)は、東京都の委託を受け、都内の15―34歳の男女3000人を無作為抽出で調査。回答者1388人のうち0・72%が「完全ひきこもり」、また4・9%が「ひきこもり親和群(予備群)」と判断した。その合計は都内で約20万人の計算だ。しかも、30―34歳が43%と最も多く、35歳以上を含めれば、かなりの数に上ると高塚教授は推測する。

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(2)

 最近では、30歳以上の報告も増えている「引きこもり」。会社も家庭もある、大人たちがなぜ突然、家から出られなくなってしまうのか。

 約30年にわたって、引きこもり者の追跡、本人への面接をしてきた明星大学人文学部の高塚雄介教授は、引きこもりになりやすい人の像が見えてきたという。

 「これまで引きこもりになりやすいのは、不登校経験者と言われてきましたが、実際には全体の3分の1以下。いまの引きこもりは、いったんは就職するのに、どこかでつまずいて、やがて働こうというエネルギーもなくなってきて、引きこもり状態に陥るのです」

 では、なぜつまずくのか。

 「共通しているのは、自分へのこだわりが強い人。こだわりがプライドにもなっている。ここは譲れない、ここは周囲に評価して欲しいという自尊心を持っている人が多い。その一方で、自尊心やプライドを押し通すだけの自信がないために、自己主張ができないのです」

 確かに、他人からの批判に脅えていれば、人間関係も浅いものになっていく。人付き合いを深めるには、自分の持っている世界を相手に見せなければいけない。こうした人間関係の中を緊張状態で送っている傾向があるという。

 「人と争ってまで自分の考えを押し通す気持ちはない。トラブルを起こしたくない。そんな自己矛盾の世界に生きているんです。そうなると結局、自分の世界の中に留まって、じっとしているしかない」

 それでも、多くの人は矛盾を抱えつつも、会社に向かう。その違いは、どこにあるのか。

 「矛盾などの葛藤を自分で乗り越える力があるかどうかの違いです。乗り越えられないのは、葛藤処理体験が少ない人。子供の頃、勉強さえしていれば、何でも許され守られる、安心できる場があったんです。これでは葛藤処理能力が身につきません」

 こうして極限状態が続いていくと、ある朝、「体が動かなくなる」「目が見えない」「耳が聞こえなくなる」――といった症状も起きてくるという。次回、その心理的メカニズムに迫ってみたい。

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(3)

 40、50代の引きこもりが増えている。朝目覚めたら金縛りに遭い、家から一歩も出られなくなる―大人になってからでもそんなことがあるのだ。

 なぜ突然、体が動かなくなるのか。その心理的メカニズムについて、長年、本人への面接を続けている明星大学人文学部の高塚雄介教授が、こう説明する。

 「心理的なメカニズムで起こるのは、一種のヒステリー反応です。建前としては、こうしなければいけないという認識はあるけど、実際にはそれができないときに、葛藤が起こる。その葛藤処理がうまくいかなくなったときに、体が動かなくなるんですね。ヒステリー反応の中には、突然、音が聞こえなくなる、目が見えなくなる、声が出なくなるといったことも起きます。また、突然の豹変や、キレるといったこともあります」

 こうした症状は、病気ではない。誰にでも起きるという。ではなぜ、ヒステリー反応が起きるのか。

 「疾病利得といって、それ以上、本人が苦しまなくて済む。体が動かなくなれば、周りが心配してくれる。それを口実に、何もやらなくて済むんです。体が病気を作ってくれる自己防衛反応ですね」
 典型的なのが、金縛り現象だ。会社で嫌なことがあって、翌朝、起きようと思ったら、体が持ち上がらない。押さえつけられているような感じになる。結局、会社を休んでしまう。これも疾病利得だ。
 翌日になったら、無理してでも会社に出かける人もいれば、そのまま長期欠勤になる人もいる。会社のほうでも心配して、会社の産業医や心療内科へ行かせると、その多くは、心身症やうつなどと診断されているという。
 では、引きこもり予備軍ともいうべき自覚症状は何か。
 「眠れない、イライラする、何となく落ちつかない、漠然とした不安につきまとわれる…などは要注意。ただ、治療が必要か、心理学的ケアがいいのか、最初に判断のできる窓口が大事です。日本は、心のケアの対応が遅れている」
 引きこもりもニート対策の中に一緒くたにされてきた。が、日本のニートの定義は曖昧で上限も34歳まで。35歳以上のひきこもりは、置き去りにされている。
 次回、彼らの悲痛な叫びを追う。

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(4)

残業中、緊張の糸が切れ

 都心のIT企業に勤める30代半ばの鈴木さん(仮名)は突然、会社に行かなくなった。

 両親と都内の実家で同居していた鈴木さんは、1人っ子で独身。ある日、会社に行こうとしないAさんに、母親が理由を聞くと、ひと言だけ、こうもらした。

 「もう疲れた…」
 以来、鈴木さんは5年にわたり、家に引きこもる。会社には退職届などを提出することもなく、そのままフェードアウトした。

 ITという言葉が、時流に乗りつつあった時代だ。会社では、連日家にも帰れないほど働いた。が、いつものように残業していた真夜中、パンと緊張の糸が切れた感じがしたという。

 それまでお金を使う暇がなかったために、会社を辞めても、貯金だけでしばらく暮らしていけた。家では、好きなパソコンやゲームにのめり込んだ。

 「真面目でこだわりが強いタイプなのに、なぜ?」
 と、周囲は首を傾げる。
 製作会社でモノ作りの仕事をしていた40代前半の木村さん(仮名)も、会社を辞めてから、3年ほど引きこもった。「腰が痛くて動けない」というのが、退職の理由だ。

 ところが、病院や整体などに行っても「とくに問題はない」といわれた。いまにして思えば、「会社に行きたくなかったのかもしれない」と思う。

 もともと、木村さんは人と話をするのが好きな性格。しかし、そんな積極性が逆に黙々と働く職人の現場で煙たがられたようだ。周囲に話しかけても無視され続けた。こうして職場に復帰できなくなる障壁が人間関係にあるケースも多い。

 木村さんは、首都圏近郊の実家で両親と同居。妹はすでに結婚していた。家では読書したり、夜になると、コンビニやレンタルビデオ店に出かけたりで、昼夜逆転生活を送る。

 今月9日、「全国引きこもりKHJ親の会」の奥山雅久代表ら引きこもりの親たちは、参議院会館で国会議員らにこう訴えた。

 「大人の引きこもりが増えてきて、事態は深刻化している。行政の施策から置き去りにされた“棄民”だ。早急に、引きこもり対策課などを創設して欲しい」

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(5)

会社の流れに乗り損ね

 大手企業に勤める30代後半の伊藤さん(仮名)は、すでに会社を1年半以上休んでいる。

 休み始めたきっかけは「眠れない」日々が続いたことだ。やがて、朝、起きられなくなり、会社に出勤できなくなった。

 会社の健康相談室が理由を聞くと、上司が「毎日の業務日誌を書け!」などとうるさくて、ネチネチと細かい性格が気に入らないという。すぐ感情的になって怒りだすようなところも我慢できなかったようだ。

 「こういう上司の元では、働けない」
 と、伊藤さんは訴えた。

 健康相談室に紹介された精神科の医師に診てもらったところ、「うつ病」と診断された。抗うつ剤や睡眠導入剤などを処方されたものの、飲んでも何の効果もない。会社はこの間、休職扱いとなった。

 独身の伊藤さんは、東京郊外の実家で、父親と2人暮らし。といっても、ずっと家に引きこもっているわけではない。気が向くと、アフリカや南米などにも、ふらりと旅行に出かけた。旅先では、人が違ったように生き生きとしている。そんな元気はあるのに、職場には出勤できなかった。

 後にわかってきたことがある。産業カウンセラーが面接を続けたところ、伊藤さんは、これまで研究者として、長い年月のスパンで研究し、提案してきた。ところが、伊藤さんはその後、開発部に異動。そこは半年くらいの短いスパンで、絶えず新しいものを開発するセクションだった。

 「10年くらい前から、企業では合理化対策で、研究部と開発部を統廃合し、早く回転していこうという流れになっています。消費者のニーズに合わせて、次々と新商品を出していかないと、企業間の競争に負けてしまうからです。昔のように、長年研究したものを発表して成果を出せばいいという古き良き時代は終わってしまったんですよ」と、産業カウンセラーは、伊藤さんの置かれた現実の背景を説明する。その流れに乗れなかった人たちが会社を離脱していき、「大人の引きこもり」の一端を担う根底にあるのかもしれない。

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(6)

正義感がアダ、こじれる関係

 「足が痛い」―大手企業に勤める40代前半の田中さん(仮称)は、そんな症状を最初に訴え始めた。以来、1年以上にわたって会社を休んでいる。

 その頃から、朝、目が覚めても、体がだるくて、起きられなくなった。もともと、不眠の症状も続いていて、やがて出勤できなくなった。

 きっかけは、些細(ささい)なことだ。上司が、本来仕事に使うべき予算を使い、適当な名目をつけて、不必要な備品などを買いあさっていた。田中さんは持ち前の正義感から、そんな不正がどうしても許せなかったという。

 上司に「こういうものを買うのは禁じられているのではないか」と指摘した。上司は「わかった。部長とも話し合おう」と答え、3人で話し合いの場を持つことになった。しかし、逆に部長から「田中君は被害妄想的なんじゃないか? どうも体の調子も悪そうだね。医務室へ行きなさい」と勧められてしまう。

 医務室では外部の精神科へ行くよう促された。しかし、精神科で医学的に検査しても、どこも異常がない。統合失調症の症状もなく、うつ状態や痛みを防ぐための治療を受けた。

 医師は「足の痛みは、精神的な問題からくるのではないか」と診断。医師の診断書も出たので、会社は休職扱いとなった。

 田中さんは、結婚していて、妻と小さな子供が1人いる。専業主婦の妻は心配するものの、彼は働きに出ようとしない。家では時々、子供と散歩したり、公園でバスケットボールをしたりする以外は、基本的に引きこもりがちになった。昼は近所の目への後ろめたさで、つい外出をためらうからだ。しかし、夜になると、安心感から活動を始め、夜中はずっと起きるようになった。不登校児と同じ心理だ。

 「あの2人の上司をいまも恨んでいる。きちんと対応していてくれれば、こんな状態にはならなかった」と、田中さんは憤る。正義感が仇になるところも、引きこもりの典型的なケースの1つだ。

 「共通するのは、上司との関係がこじれたときに、うまく修復できないタイプの人たち。折り合いが付けられず、なかなか復職もできなくなるんです」

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(7)

上司の詰問に涙…

 大手企業の技術職に勤める30代前半の佐藤さん(仮称)も、直属の上司との関係が原因で引きこもった。

 佐藤さんにとっては、上司から与えられる課題は難し過ぎた、という。しかし、上司に相談しても、自分の仕事で忙しく、取り合ってもらえない。佐藤さんは、不眠症に悩み始める。

 会社の玄関をくぐろうとすると、急に動悸がして気持ち悪くなり、家に引き返すようになった。理由を聞くと「あの上司の顔だけは見たくない」という。そして、次第に出勤できなくなった。

 きっかけは、会議の席で、上司にかなりきつく詰問されたことだった。佐藤さんは「いままで何も教えてくれなったのに、皆の前でそこまで言うのか」と、涙が止まらなくなったという。

 会社では、一般的に2週間以上出勤してこない社員がいれば、懲罰の対象になる。こうしたご時世だから、人事担当者も放っておくわけにはいかない。欠勤を続ける本人や家族に連絡を取って、本人を健康管理室や医務室に連れて行こうとする。しかし、医師に診てもらっても、病気には見えない。結局、佐藤さんは「適応障害」と診断された。

 医師の治療によって、不眠などの症状は改善された。それでも、なかなか出勤しようとはしない。

 上司は「そんなに嫌なら、他の職場に異動させよう」と提案した。しかし、佐藤さんは、その上司のいる「会社そのものに拒否感」を持ってしまったという。

 「人前で辱められたことを我慢せずに、涙が止まらなくなる反応をしたのは、自然なことです。いままでは、個人を殺して耐えて適応していくのが、会社員として当たり前だった。ただ、彼は折り合いをつける道をとらなかった。そうしているうちに、休職期限が過ぎて、会社から消滅していく人たちも少なくありません」と、産業カウンセラーは会社側の対応の限界を明かす。会社の玄関に入れなくなる症状は、登校拒否がそのまま移ってきたような図式だ。ただ、会社を辞めていった彼らがその後、どうなったのか。追跡されることはない。「大人の引きこもりが数多く潜在化しているのでは」といわれるゆえんだ。

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(8)

皆がパソコンに向かい無言


 大手企業に勤める30代後半の関口さんも、会社の玄関をくぐれなくなって、休職した。専業主婦の妻がいるのに、ここ最近は引きこもりの生活を送る。
 関口さんは、支店から本社に転勤してきた。しかし、本社の周りの雰囲気は、皆がパソコンに向かっていて、音もなくシンとしている。誰も雑談もせずに、それぞれ自分の仕事に向かっているからだ。関口さんには、アットホームで気軽に話のできた支店と違い、そのよそよそしさが「耐えられなかった」という。

「3年間、本社でがんばれば、昇進できるから…」ともいわれていた。 しかし、朝、出社すると、そんな職場の雰囲気に、体が震えるようになった。そのうち、玄関にさえ入れなくなって、突然、無断欠勤が始まってしまう。

 「原因を調べていくと、雰囲気や場所に反応していることは、意外に多いんです。事故や事件に遭った場所を通ると、昔の体験が蘇るトラウマに似ていますよね。だから、会社に近づいてきて、建物が見えただけでおびえて、体が動けなくなるのです」と、産業カウンセラーは説明する。ヘビににらまれたカエルのようなものだ。学校で試験中、トイレに行きたくなる過敏性大腸症候群にも似ているかもしれない。

 それでも、関口さんは当初、出勤時間になると、家を出ていた。彼の妻も、会社に行っているものとばかり思っていたという。しかし、玄関の前まで来ると、どうしても入れない。結局、公園などで時間をつぶし、帰宅時間が来ると、家に帰っていた。気づいたときには、もう後戻りできない状況になっていたようだ。

 「やはり、会社に行くと、交流があることが支えになっていることも大きい。そうした職場のファミリーのような人間関係が、日本の企業を支えてきた。しかし、終身雇用システムが崩壊して、いまは皆、自分の課題で精いっぱい。上司も自分の成果を出さなければならず、余裕がない。成果主義の流れが、これまでの個々のつながりを寸断し、他人を気遣うサポート体制も崩れてしまったんです」

 これまでの会社員なら、個人を殺し、上司や会社の理不尽にも耐え、適応していくことが当たり前だと信じてきた。しかし、こうした会社を拒否する身体症状は、1つの主張なのか。

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(9)

ネット生活で素モリズム狂い

 朝、どうしても起きられない。頭の回転も落ちていると訴えるのは、大手企業で研究職に就く加藤さん(仮名)。すでに入社して10年になる中堅社員だ。

 そんな年にもなって、なぜ? と思うほど、会社を休みだすと、ずるずる出勤できなくなり、しばらく引きこもりの生活が続いた。

 加藤さんは1人暮らし。有給休暇も使いきり、会社は実家の母親に連絡した。すると不思議なことに、母親が駆けつけたとたん、加藤さんは再び出社。母親が滞在した2カ月ほどの間、何事もなかったように出勤を続けた。朝、母親に起こしてもらえるからだという。ところが、母親が帰ったとたん、朝起きられなくなり、また休み始めた。

 引きこもりの背景には、家族の影響もあるのか。会社の健康管理室から、精神科のクリニックを紹介して診てもらったところ、うつと思われる症状が揃っているという。また、きっかけが、週休2日制の会社ということもあり、加藤さんは金曜の夜になると、ネットにハマっていたこともわかった。

 金曜の夜、加藤さんはほぼ徹夜するため、土曜日辺りから睡眠のリズムが狂いだす。土曜の昼間、1日寝ていて、起きるとまたネットの生活。そして、日曜の昼も寝てしまうので、月曜の朝になると、起きられなくなるらしい。

 産業カウンセラーは「原因のネットをやめて、リズムを作ろう」とアドバイスした。すると、しばらくの間は、出勤できる。しかし、母親がいないと、朝、起きれなくなるのだという。
 ただ幸いなことに、加藤さんは仕事ができるため、2〜3週間休んでも、会社から何も言われなかった。

 「母子関係だけの問題ではないと思う。最近の上司は、部下が休んでいても心配しない。コンピュータが職場に導入されるようになり、昔のように後輩を育てるシステムが崩壊してきたのではないか。だから、自分が困ったときに、誰も教えてくれず、上司にも相談できないまま、休みに入ってしまう。暗礁に乗り上げたとき、孤立することも引き金になっている」と、産業カウンセラーは、最近の職場の余裕のなさが、引きこもる大人たちを生み出しているとみる。

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(10)

進まぬ再就職… 次第に無気力に

 中には、死に至るケースもある。
 都内の大手企業に勤務していた40代の新井さん(仮称)は、会社を辞めた後、家に引きこもった。ほどなく離婚し、妻子と離れ私鉄沿線にある古いアパートで1人暮らしするようになった。だが何年かたち、貯蓄も底をつき、家賃を滞納するようになっていった。

 心配し新井さんの部屋をアパートの管理人が訪ねた。電話も通じなかったのでマスターキーで部屋の中に入った。

 長年の勘で、玄関に靴がなければ、夜逃げだろう、とふんでいた。だが、最悪の事態だった。新井さんは首つり自殺を図っていたのだ。「部屋の中は汚く、カップラーメンなどが散乱していて、しっかり生活していなかったようだ」(管理人)

 新井さんが死を選んだ経緯は知る由もないが、会社を辞めた原因については、周囲に「職場の人間関係」と話していたという。退社後もしばらくの間、新井さんは再就職先を探し回っていたようだ。管理人も当初は「仕事、就いたほうがいいよ」などと声をかけ、新井さんも「頑張りますよ」などと、カラ元気を示していたという。

 しかし、景気の悪化と40代という年齢が再就職のネックになった。行き場を失った新井さんは、次第に無気力になり、引きこもっていったのだろうか。

 この管理人が管轄している物件では、去年から今年にかけて自殺者が2人、夜逃げが1人いたという。いずれも、新井さんと同じような40代男性だったという。

 「同じ1人暮らしでも、お年寄りは、行政のスタッフが様子を見に来るから、それほど問題はない。危険なのは、40―50代で会社を辞め、再就職口が見つからないような人。仕事に就いても、環境が悪くて2、3回転職したりする。そうしているうちに、やる気がなくなっちゃうんだろうかねぇ」と、管理人はため息をつく。彼らに対する国の救済策は、放置されたままだ。そして年3万人を超える自殺者数を確実に押し上げている。

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(11)

 心の病は完治待つより職場環境の中で治療を

 会社も家庭もある大人たちがなぜ、家から出られなくなるのか。
 神経生物学の観点から、高次神経機能の解析を行っている、東北大学大学院医学系研究科の曽良一郎教授は最近、引きこもり状態の男性を治療した。

 患者は、有名企業に勤務していた30代の事務職系社員の江口さん(仮称)。家族は、妻と息子の3人暮らしだった。

 江口さんは毎朝、妻の運転する車で送られ、会社に通勤していた。ところが、会社の門の手前で、体が動かなくなる。結局、彼は、出社できなくなって引き返し、自宅に戻るという日々が連日、続いていたのだ。

 すでに江口さんは有給休暇を使い果たし、長期間休んでいた。曽良教授は、会社の産業医から、こう引き継いだという。 

 「会社としては、彼が非常に優秀だったこともあり我慢していた。完全に完治させた上で復職させたい。ただ、これ以上長引いて復帰できないようなら退職させたい」

 曽良教授が診たところ、彼はうつ病と診断され、会社側の「完全治癒させたい」という意向を受けた産業医から、精神刺激のリタリンをはじめ複数の薬を投与されていた。

 だが、曽良教授は男性の症状に合った抗うつ剤1種類だけにした。すると、彼の気分も次第に上向き始め、症状も落ち着きを見せた。しかし、江口さんは、なかなか会社に行けなかった。

 そこで、比較的弱い精神安定剤の抗不安薬を追加してみた。しばらくすると、江口さんは会社の手前まで行っても、顔がこわばることがなくなった。その後、少しずつ出社できるようになって、いまでは普通に勤務している。

 「会社に行ったら、きちんと仕事しなければならないと思う半面、きちんと仕事ができる自信がない。そんな葛藤(かっとう)に悩んでいたんだと思います。うつ病に罹りやすい性格の方は、非常に真面目。完璧主義者も多いんです」と、曽良教授は指摘する。

 心の病は一般的に、体の治療のように完治してから復職させるよりも、職場環境の中で治療を進めるほうがプラスになる場合も多いのだ。

 「座っているだけでもいい。途中で早退してもいい。とにかく行ってみて」との説得で、江口さんは再び、出社できるようになった。

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(12)

不安が先行する30〜50代は注意

 「家から出られない」 「会社の前で体が動かなくなる」―自立した大人がそんな身体状態に陥って、引きこもり状態になるのはなぜなのか。

 神経生物学の観点から、高次神経機能の解明を行っている東北大学大学院医学系研究科の曽良一郎教授は、こう説明する。

 「不安は、欲求が強ければ強いほど起こるもの。会社に行けなくなるのも、会社に行きたいという強い気持ちの裏返しなんです。動けないのは、強い心理規制が働いて、不安が先に立つことが多いから。ひどくなると、気持ちが落ち込んだり、不安を感じるエネルギーすら残らなかったりします」

 曽良教授によると、引きこもり状態の社会人を調べてみると、うつ病や神経症の人が多いという。
 「大人の引きこもりが増えているのは、それらの病気が蔓延化しているからではないでしょか」
と、曽良教授。

 うつ病と診断されるケースは、睡眠障害、食欲減退、性欲減退などの身体症状が出るなどの体の病気に近く、30代から50代に増えてくるという。その中でも「不安が強いと、引きこもるのではないか」と指摘する。

 一方、不安が強い人は、不安神経症の分類に入る。会社に行って、きちんと仕事したいが、自信がないから行かない。睡眠障害がある。ただ、食欲や性欲の減退はない。シンプルに、不安だということだけが先行するのだという。

 「きっかけは、転勤、昇進、異動などの職場環境の変化。少しずつ眠れなくなって、ストレスが積もり積もると、ある日調子が悪くなる。極端なケースでは、そのうち『生きていてもしようがない』『死んでしまおう』と思い、自殺へと追い込まれるのです」

 とくに、技術者や研究職は「100%の力を出し切れないと働きたくない」という自己抑制が強い。「気分が沈む」「寝つきが悪くなった」「趣味を楽しめなくなった」などの症状が表れる。自覚するのは、半年くらい後。家族が慌てて本人を連れてくるケースが多い。

 「以前に勤務経験があるなど、社会機能が高い人なら、的確な治療を受けられれば、比較的治りやすいのではないか」
 社会復帰は、家族や会社の理解、サポートにかかっているようだ。

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(13)

日本人の9割が持つ不安感じやすい遺伝子

 最近、注目されている30、40代の引きこもり。多くの会社員は組織に適応して、社会生活を送っているようにみえる。しかし、一方で、体の動かなくなる大人が現れるのは、なぜなのか。

 脳システム論の専門家で、『不老脳―40代からの脳のアンチエイジング』(アスキー新書)などの著書がある、諏訪東京理科大学の篠原菊紀教授は、「そもそも、よくここまでみなさん環境に適応して出社していると思う」と前置きの上、こう指摘する。

 「1つの要因として、不安や恐怖を感じやすい遺伝子が想定されます。代表的なのは、セロトニンの不安遺伝子。ただ、日本人は約9割が持っているため、米国人の3、4割に比べて多く、人と打ち解けるのが苦手な民族性がある。このような素質をベースにしながら、ストレスがかかりやすく、疲労の重なる状況が、不安を回避するシステムを壊していくことになるんです」

 たとえば、人を見たとき、好き嫌いを決める扁桃体が、嫌いな反応で強く出るという。だから、どんなに人がよくて、人間関係が得意なタイプでも、目が正面から合ってしまうと、扁桃体が一種の恐怖反応や拒否反応を起こすらしい。

 「人の目線を怖がるのは、扁桃体や島(とう)という脳の恐怖反応システムが過剰反応するからなんです。とくに小さい頃、殺されかけるようなPTSD(心的外傷後ストレス障害)に近い強烈な体験をしていると、そのシステムに破綻が起きやすいんです。不安を感じて、意欲がわかない。疲労がなかなか抜けないのも、脳のメカニズムを支える上で脆弱さがあって、それを覆うような体験が多少不足しているんです」

 さらに、システム破綻を発現させるのが、ストレスなどの環境因子だ。

 30代から40代にかけては、中間管理職になる時期。上からのプレッシャーと、下からの悲鳴にはさまれる。すると、脳の中で知的活動をつかさどる前頭葉の外側に負荷がかかって、内側から下にかけてのシステムも負荷を受けやすくなるというのだ。

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(14)

脳の知的活動つかさどる前頭葉に負荷がかかり…

 会社員たちはなぜ、体が動かなくなるのか。脳システム論の観点から、彼らが引きこもるメカニズムを解明するのは、諏訪東京理科大学の篠原菊紀教授だ。

 30―40代は、中間管理職になることが多く、上からも下からもプレッシャーを受けやすい。すると、脳の中で知的活動をつかさどる前頭葉にも負荷がかかる。

 篠原教授は、前頭葉をわかりやすく会社組織に見立てるとすれば、外側が企画部長、目の部分が営業部長、内側が総務部長の役割を果たしている―と説明する。

 「そのバランスが崩れると、会社として外に出ていけない。ある専門家は、企画部長が知の中枢、営業部長が情の中枢、調整をやっているのが意の中枢になると言っています。どこか1カ所破綻しても、すべてのバランスは崩れます。象徴的に表れるのは、総務の調整が効かなくなると、意欲に問題が起きること。実際、うつ病や強迫性障害、慢性疲労症候群などは、前頭葉の内側部の問題が中核だと考えられています」

 詳細は、こうだ。うつ病の場合、前頭葉全体の血流が下がってきて、すべてがパワーダウンする。その内側部の前側にかかわるのが、うつ。後ろ側にかかわるのは、慢性疲労症候群だという。

 「前頭葉の内側全体にある運動を命令する中枢の場所が破綻すると、動かそうとしても動かせなくなる。総務が壊れれば、どうあがいても給料は出ません。企画は立っても、総務の調整が効かなくなれば、パニックの状態になってしまうのです」

 一方、前頭葉の前頭前野底部は営業。人の表情を読んだり、雰囲気を感じ取ったりする場所だ。営業は、外の状況を自分にとっての価値として判断。他人の価値にするために、どう対応するかを調整するという。

 「ここが感じられなくなると、情の部分の判断が入ってこなくなる。知だけで全能感で突っ走ると、2次的な問題を起こしやすい。相手の不快を感じ取れない気質を抱えていると、心の痛みを伴わないわがままな引きこもりのタイプにもなります」

 いずれにしても、引きこもりは、前頭葉のバランスがどこか壊れている可能性があるようだ。

日本の病巣〜ひきこもる大人たち(15)

未来への"いい色"の記憶がネガティブに変わると…

 30、40代になると、脳の知的活動をつかさどる前頭葉に、負担がかかりやすくなる。

 大人が引きこもるメカニズムについて、諏訪東京理科大学の篠原菊紀教授(脳システム論)は「前頭葉のバランスのどこかが崩れているのではないか」と指摘する。

 では、なぜ突然、調整ができなくなるのか。要因は、「未来が見えなくなる」ことにあるという。

 「未来をポジティブに想像する力が失われると、希望がほぼ壊滅的になります。それも、本人の中では突然プツンとキレる感じですが、だんだん積み重なるもので、潜伏期間はかなり長い。明日や10年後の自分を1度想像すると、記憶の形になる。これは、未来の記憶といって、いくらでも変わり得る。そもそも記憶は、好き嫌いを決める扁桃体と連動していて、色がついている。普通の人は、いい色の記憶が多いから、生きられる。未来の記憶にも同じことが起きていて、それがネガティブ色になると、働きづらくなるのです」

 問題は、希望が失われてくると同時に、脳全体の機能が落ちてくることだ。とくに、記憶を多重に管理する認知機能が低下。それに伴う2次障害によって、仕事のパフォーマンスも落ちてくるという。

 では、調整能力が壊れたら、どうすればよいか。

 「物事が筋道立てて考えられるようになると、『希望』も復活してきます。それには会社側の役割が大きい。従来のような社員を横並びに評価するシステムではなく、社員1人1人を個々の成長でとらえ、その希望を伸ばしていけるベクトルに置いてあげられるか。横並びは、できるヤツのほうが偉い、といえば済むわけで、簡単な話ですから」

 前頭葉は、他人との関わりを指す社会的評価にも連動しているという。だから、常に「改善」を求められる職場環境であるほど、「引きこもりの人が出やすい」と、篠原教授は指摘する。

 厳しい雇用環境の中、最近、引きこもりの長期化も問題になっている。

 「うつを想定して考えるなら、1度、ゆっくり休んで、エネルギーが戻ってくるのをひたすら待たなければいけない。そうなる前段階なら、調整の仕方を考えるべきです」