生きる・・7日間
5月すい臓ガン発症から11月肝臓へ転移・・・
2007年5月11日〜11月2日〜
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「自立と共生 公立富岡総合病院
2007年5月すい臓がん(ドキュメントー1)       2007年11月ガン転移(ドキュメントー2)
2007年5月11日金曜日 
 癌告知
S・ドクターの手記・交信からの引用
膵(すい)ガン 告知の朝・・・・

朝7:30 公立富岡総合病院外科外来へ診察に出かけた。

過去、癌など発症した複数の人が、どこで聞いたのか私がS・ドクターと「個人的な知り合いだと聞いた」といって訪ねてきた ・・・」
私は言った。
「S・ドクターはどんな人に対しても全力で診察対処してくださるから心配ありません。外来へ朝早くいかれたほうがいい」
私は以前よりS・ドクターを医者として尊敬する前に人間として尊敬していた。

自分自身のこととて、大勢の患者で忙しいS・ドクターにわずらわしい負担をかけては申し訳ないと感じていた。
だから事前の連絡もせずに、一患者として診察を受けるために早朝でかけたのである。

8:45分診察。
症状を説明後直ちに、各種検査が始まった。
血液検査ーCTスキャンの造影剤による副作用による嘔吐する。 救急室で40分近く安静にし点滴。

診察室に戻りフイルム画像を見る。
S・ドクターより

「すい臓がんの可能性90%・・・」

と告げられる。

フイルムを見る先生の表情は「まずい」という感じだった。
即座に転移がなければ「手術」転移があれば「化学治療」と告げられる。

私は一瞬「エッ」どうして・・・
父方、母方に誰一人といて癌を発症した人間がいなく、自分は循環器系の疾病で終わるのだと信じて疑わなかった。
遺伝的体質が癌発症の大半の占めるといった思い込みが砕け散った瞬間だった。

「とうとうお迎えが来たか!考えていたより少し早かったな・・・」
そんな思いを抱きながら国道254号を愛車の軽自動車を運転しながら帰って来た。心に動揺らしきものはなかった。

午後30年来の友人のTさん宅へぶらりと出掛ける。
淡々と癌の宣告を受けたと告げる。
彼の兄弟も肺がんで亡くなっていた。

「よく淡々としていられるよな・・・・自分はそんな状態でいられるだろうか・・・」という。
告知1日目が終わった。

公立富岡総合病外科の治療方針

公立富岡総合病院の外科は、
治療方針が決まるCTは、まずその日に実施します。
血液検査も多くのものは1〜2時間以内にでます。
CT,PET、血液検査で、ほぼ診断がつき、少しだけ疑問の残った人は、術中に迅速診断して確かめます。

これにより、患者さんの無駄な検査、無駄な治療にかかる莫大な時間と費用、そして苦悩時間を避けることができます。



   
       公立富岡総合病院 正面玄関



S・ドクターは診察後、
私にガンの可能性90%と言った。

(手術ドキュメントの手記で
100%がんと確信したと記されている)

私はこの日帰宅すると、
少しでも希望を持つようにと考え、
さらに10%低く「ガンの可能性80%前後」と嘘を妻に告げた。


すい臓(膵臓)の健康学より・・・
主な「がん」の中で最もタチの悪いのが「膵臓がん」とよく言われています。
その理由として進行がとても早く、
膵臓がんが発見後、3ヶ月で半分の人がなくなり、 1年以内に90%の人が亡くなるという強敵です。
現在、患者は年間1万5千人といわれていて、年々増加傾向にあります。


        
 
5月11日金曜日


突然Mさんが私の外来を受診された。
Mさんとはかれこれ20年近くのお付き合いを頂いており、そういえば私の妻が、最近Mさんがお疲れのご様子で検査を勧めた、という話を思い出した。


胃が変で背中が重苦しいとのこと、近所の医院で胃カメラをしたが、胃炎程度だったとの事であった。
最近血糖値も高めで・・・・という。
私は直感した、膵臓だと


膵臓は腹腔の背中側に位置し、いわゆる後腹膜臓器であり、また血糖値を下げるインスリンというホルモンを分泌している。
胃部と背中、血糖、このキーワードは直ちに膵臓を連想させるのである。

直ちにCT撮影を行って、私の直感は確信に変わった。
膵臓体部から尾部にかけて最大径6cmに及ぶ腫瘍がある。

採血の結果を見ると正常値が5以下のCEAが11.7と高値を示している。

診断は100%
膵臓癌であった



しかしMさんには90%の確率で膵臓の癌を疑います、とお話した。

それは膵臓癌と診断がついても、その段階で外科的切除が適応(切除が有効と判断される)人は1〜2割しかいないという現実があるからである。

CTでは幸いにも遠隔転移や後腹膜浸潤は認められず、切除可能と思われたが、CTで描出出来ない遠隔転移などがあって最終的に切除不能と診断されるケースもあり、もうひとつPET検査をしてから結論をお話したほうが、良いと判断したからである。

Mさんは、
私に言わせれば、信念と行動の人である。確固たる人生哲学を持ち、強い意思で行動に移して来られた方である。
しかしそれでも、いきなり90%癌であるとお話してしまったので、ショックは大きいであろう。

治療方針が確定した段階で、詳しいお話をするべきと私なりに考えたのである。

しかしこの時、心の中で手術は5月17日と決めていた。

PET検査の予定が5月15日しか入らなかったからである。
私たち外科医は手術という治療手段を持っている。腫瘍の治療としてはきわめて有効な武器である。

しかし一方で受ける患者さんにとっては、薬では治らない状況ということである。
診断は的確に迅速に、治療開始も出来るだけ迅速に、そして安全に確実にと心がけている。




CT画像 5月11日
5月12日 土曜日 
昨夜はあれこれ考えたが5時間ほど連続で眠れ4時ごろ目が覚めた。
「・・・膵臓癌は「がんの王様」と呼ばれています。膵臓癌と診断を受けた時、多くの場合余命も宣告されています。一般的に1年以内、転移があれば6ヶ月程度と言われます・・・」

インターネットの「すい臓がん」情報は全てが、「癌が発見されたときは90%手遅れ・・・」であった。
自覚症状がはっきりしていた。胃の違和感、背中の痛み・・・
1ヶ月前には437という血糖値の異常な高さ・・・。はっきりと兆候があったのだった。

告知によって一番自分にとって重要な問題なのは、
「体が自力で動かせるのは約3ヶ月という現実に、
心がどのような反応を示すのかが問題であった」
私は心を覗くことに集中していった。
65年間どのように生きてきたか
「最後の審判」
を自分自身で下さなければならない・・・。
妻と相談し、子供だけには事実を告げようと一致した。
東京の息子に電話した。すい臓がんを告げた。
声がすすり泣きに変わった・・・前橋の娘に電話した。娘婿が電話に出た。娘が直接電話に出なかったことにホットした。

「明日、全員集まってくれ」と告げた
告知2日目が終わった
1年前より身辺整理・・・

まるで今日を迎えるように、1年前から議員を引退するための準備や、各種団体の役員や賃貸契約など全ての清算がつき終わっていた。。

15日どんな結果でも肉体的に、家や身の回りの整理など手がかけられない状態になるだろう・・・
家の内外のガラクタの整理を始めた。



            自宅外の様子
   
            車庫上の庭園

5月13日 日曜日  家族集合
午前中に家族全員が集まった。

市内の飲食店へ全員で食事に行く。
私自身「最後の晩餐?という心境だった」
2階の500号白鳥湾の油絵の前で写真撮影。家族全員で。

午後、妻に孫の相手をしてもらい、
長男、長女夫婦に私の癌のこと、私の心境。あとに残される妻のこと、全てを洗いざらい話をした。

子供たちの家庭はインターネット環境にあり、すい臓がんの何たるかを全員が認識していた。

子供たちはただ泣くだけだった・・・・

    
        北海道 室蘭港「白鳥湾」を描いた
       500号油絵の前で家族全員で 撮影

       私と妻 長男夫婦 長女夫婦と3人の孫

公立富岡総合病院 外科チーム
5月14日  月曜日
長男は休暇をとってきたと1日を家の周りの整理や方付けで共に過ごす。
余命を計算し、心残りがあるとすれば白鳥の塔建設計画が夢に終わることで、何とか構想だけはまとめて残りの時間でサイト上に残したいものだと打ち明ける。


公立富岡総合病院

5月15日 火曜日
PET/CT検査 結果癌の実態が判明する日

PET検査結果
癌の実態が判明する日
午前9:00
藤岡市「くすの木PETセンター」 へ2時間30分ー検査時間。
午前11:30終了ー帰宅


午後9時10分 メールにて報告。
S・ドクター、有難うございました。

CT画像を見て、インターネットで調査すればするほど、また現れてきた自覚症状の様子からガン転移をほぼ確信し 1年以内の余命と覚悟を決め、
家族全員を5月13日に集め、そこで家族全員に言いました。

「人間の一生は時間の長さで決まるのではない、 どのように生きたかの納得で決まるのだと40代になってから生きてきた。 だから自分の生命が何時終わっても悔いのないように生きてきたつもりだ。
そしていまその基本姿勢が本物かどうか試されようとしているが平常心を保てそうだ。私のことは心配するな。
君たちはそれぞれの未来に向かって責任を果たしていってくれ。本人が絶望しないのだから君たちのほうがしっかりしてくれ・・」

そのようなことを話しました。
そして先生から今日の午後3:30分ごろ電話をいただき、
転移がなく手術が可能だとの話を しますと憔悴しきっていた妻も、今日会社を休んで待機していた長男も、声を殺して泣きました。

このとき
「私は家族をはじめ多くの人に支えられて生きながらえてきたのだ」と あらためて心のそこから感じることができました。
この私を含めたドキュメントをHPに詳細に掲載して行くつもりです。
有難うございました・・・他に言葉が見つかりません。

先ほどメールを開いたら 検査結果が分かる前に
長女から送られてきました。そのメールを添付いたします・・・

長女からの来たメール
Sent: Tuesday, May 15, 2007 3:22 PM Subject:
大好きなお父さんへ

 何度も何度もメールを送ろうとパソコンを開いたけどどうしても手が動かなくて・・・でもあと何時間かで、検査結果が出てしまうから、その前にどうしても伝えたくて、メールします。

私はまだお父さんが癌だなんて、どうしても信じられません。
だって二〜三ヶ月で急に癌が発症して、進行してしまうなんてどうしたって考えられないんだもん!
あんなに元気で体力のある お父さんが・・・何かの間違えでしょ?きっと膵炎に違いないと私は思っています。

そうでなくちゃ絶対に嫌!!  
 お父さんは、私が小さい頃からいつも言ってたでしょ?手相を見せて「お父さんは、100歳まで生きるからね」って。
その言葉、ずっと信じてるよ!お父さんは、私に嘘をつかないでしょ!
お父さんは私にとってこの世で一番尊敬している人なの。

父としてというより人間として・・・子供の頃、仕事で忙しくても、私の悩みの相談にのってくれて、沢山の事を学んだし、勇気をもらったの。
普通の男親だったら反対する、東京への大学進学だって、お父さんは一度も反対せずに応援してくれた。

本当に感謝しているの。結婚して子供が出来て、私にも自分の家庭が出来た。
今はこの家族のために、毎日を私なりに頑張って生きているの。
やっと祐人が  二歳になって落ち着いてきたし、お父さんの議員生活も終わって少しでも親子でゆっくり話したり、出かけたりする時間がもてると楽しみにしていたのよ!! 
お父さん、私ね、お父さんが癌かもしれないって聞いたとき  
 「なんでお父さんなの?なんで私じゃないの?」って思って、一日中涙が止まらなかった。

すぐに電話したりメールしたりしたかったけど体が動かないの・・・でも子供たちの前では、いつも通りにしてなくちゃならないし、立っているのが精一杯だった。
今まで生きてきて、味わったことの無い感情と震えが止まらなかった。  

 でもね、お父さん、私信じてる!お父さんはいつも奇跡を起こしてくれるもの。 誰も出来ないようなことを、いつもやってのけてしまう。
だから今回もきっと大丈夫!!!!!   お父さんの事だから、私や心はお父さんの事じゃなくて自分の事を心配しているんだろう・・・なんて思っているでしょ?お母さんの事を・・・ 

 私も心も、今はお父さんの事しか全く考えてないよ。
私は お父さんのためなら、自分のすい臓をこの場で提供できる。
私の残りの寿命をすべてお父さんにあげたい。まだ何にも親孝行してないのに、こんなに突然癌だ・・・なんて言われたって納得できないよ。

 お父さん、これからが第二の人生の始まりだって言ってたじゃない!
もっともっと私たちと一緒に生きて!
私の中でお父さんはあまりに大きな存在過ぎるから、絶対に病気に負けないで!!
いつまでも私たちのそばにいて!  

 どうか神様がいてくれますように・・・  娘より


奇跡が・・・
午後3:30分
公立富岡総合病院S・ドクターから電話でPET検査の結果が入る。
「他に転移がありません。
予定通り手術をいたします!入院の手続きに入ってください妻と長男が泣く。すぐに娘に電話を入れる。
午後4:00
妻と二人で公立富岡総合病院へ入院手続きに出発。

午後7:00ー帰宅し入院の準備に入る。
長い長い1日終わる。
医療センターから引用

PETとはPositron Emission Tomography(ポジトロン(陽電子)放射断層撮影法)のことをいう。



この検査の一番の特徴は、「PET製剤」にある。
あらかじめこの「PET製剤」を静脈に注射しておき、それが体内のどこに集まり、代謝されているかを画像にする。それによって、異常な代謝を行うがん細胞などを見つけることができる。

 いったん体に入った薬剤を外から捉えられるのは、このPET製剤が体内でガンマ線を放出するため。

それをPETのカメラがキャッチし、画像ではその部分が明るく光る。

 PETは、CTやMRIでは見つかりにくい、早期がんの発見などに威力を発揮する。
また一度の検査で全身を調べられるので、転移・再発の有無を確認するのにも有効。

ただ、画像がやや不鮮明なので、正確な場所を特定するためには、CTやMRIと組み合わせて利用する。

最近では「PET-CT」という、PETとCTの両方の撮影ができる装置も普及しつつある。












ムンク 叫び

        

手術も終わり、数日後のことだった。
ベットの上から病室の白い天上見上げながら思い出していた。

「一家の大黒柱の父親が「癌と宣告され、
家族は悲嘆、不安、不条理、絶望・・・
の渕に立たされたろ・・・。

遠い昔、自分自身がどうすることもできない悲しみと絶望の渕をさ迷ったことがあった。
そのときの感情がわきあがってきた。
そして突然浮かんだのが、
ムンクの「叫び」であった。


ムンク 
「生命のフリーズのなりたち」より

ある夕暮れ、ある道を歩いていった 一方には町が横たわり、フィヨルドが下にあった。ぼくは疲れていて、気分が悪かった
ぼくは立ち止まって、フィヨルドを眺めていた。
太陽が沈んだ
雲が赤くなった
血のように。
自然を貫く叫びのようなものを感じた
叫びを聞いたように思った。
ぼくはこの絵を描いた
雲を本物の血のように描いた。
色彩が叫び声を上げた・・・・

生命のフリーズの中の
『叫び』がこの絵である。


遠隔転移なし

PETの結果が判明し遠隔転移なく確実に手術適応と判断し、
15日夕方
Mさんに電話を差し上げた。
予想したとおり、すでに膵臓癌について調べられており、
16日入院、17日手術で良いとのお話を頂いた。



富岡綜合病院CT画像




  
  
  すい臓中央部に光っているがん細胞
   PET・CT画像 くすの木センター










       
           公立富岡総合病院 病棟


5月16日 水曜日  入院

根治目的の
外科的切除適応条件

最後の食事か・・・
8:45 藤岡の自宅を出発。
9:20 富岡総合病院に到着 A棟3階病室に入る
12:00 昼食 重湯・ヤクルト・具なし吸い物・・・
口の中の消毒うがい今日中に10回。
風呂に入る。 個室に移動する。パソコンセット。
3時15分 佐藤尚文先生が病室に顔を出す。
下剤を飲む 。
カーナビDVDでビデオを観賞する。
6:20分 腹が減った・・・食事が来た!
1時間半前から耳をそばだてて待っていた。
お膳を見た。驚くなかれ、
重湯が茶碗に3分の一とわずかな味噌。コーンスープカップに3分の一。紙パックのリンゴジュース・・・・。

固形の食べるものなどひとかけらもないのだ。
これが最後の晩餐になるかも知れない夕食メニューなのだ。
昼食は深く考えずに腹に入れてしまい失敗したので、 今度はゆっくりと口の中で嘗め回し 味わいながら流し込んだ。

こうしてパソコンを相手に不満をブチマケている自分は 昨日は多くの人に支えられて生かされているのだという 「真理」感じたのに おなかの訴えに、ついあいずちを打てしまっう情けない人間なのだ。

廊下の食器棚に返却し、昼食の時にはみもしなかった、他の患者の返却容器の中を見てしまった・・・・。
ナント!油揚げをそっくり残している人がいるではないか・・・。 目が釘付けに・・・私の本性は情けない人間だった。

午後7時現在、の体の症状は、背中が完全に痛みを増してきた。 すい臓癌の位置である。
危機一髪の瀬戸際での手術になっていた。 S・ドクターに感謝、感謝。

膵臓がんの根治を目的として実施される外科的切除が適応となる条件としては以下のようなコトが挙げられるらしいです

1−肝臓や肺などの膵臓以外の臓器にがんが転移していない場合。

2−お腹の中(腹膜播種)にがんが広がっていない場合。

3−重要な臓器を栄養する大きな血管にがんが広がっていない場合。

また、どれか一つでも満たされない場合は、たとえ目に見える範囲で外科的にがんが摘出できたとしても、
手術後直ぐにがんが再発する可能性がひじょうに高いため、患者さんに大きな負担をかける手術の価値が無いと考えられ、手術の適応が無いと判断されるとのことです。

<私の場合・・・・>
●病理検査の結果

日本の基準では第3期(ステージ3)
国際基準では第1期(ステージ1)

各種リンパ節、門脈系、動脈・静脈系、
12指腸、すい臓背面 、膵後面、浸潤なし。膵臓内神経浸潤。

5年の生存率90%が目安となる。
日常生活の徹底と抗癌剤治療の成果による。




重湯
りんごジュース
コーンスープ




5月17日 木曜日  手術

手術シュミレーション
S・ドクター 記

家族えの伝言
パソコンで昨日書いた 書き込みが消えてなくなっていましたので改めて家族に書き残します
「万が1に備えて書き残すこと」
 お母さんへ 40年間わがままな私に連れ添ってくれてありがとう。感謝いたします。
尚美と、心へ 万が一のことがあったら二人でおかあさんをサポートしてください。
わたしが3人に出会えたことは奇跡で神秘以外のなにもでもありません。

わたしの人生というキャンバスに、 どれほどの豊かなと色彩、実りをもたらしたか計ることは出来ません。
わがまま(わが道をゆく)を押し通してきた私は、3人にとって心配の種だったでしょう。 私はその分充実した人生を送らせていただきました。

死の土俵際に立っても心はほとんど動揺することなく正面から現実を受け止めることが出来るのも 3人のおかげです。
わたしは、3人にお金や物質的な物を残してやることは出来ませんでしたが、 しかし真の価値観や、人生の生き方など「心と魂」の栄養を子供のころから与える努力をしてきました。
わたしが確立した世界観、価値観からしたことですが、いつか3人にきっと[大きな実り]となって帰ってくることを信じて疑いませんでした。

ここまで生きてこれたのも多くの方から「陽に陰に」支えられた結果だと感謝の心でいっぱいです。 65年間を全速力で走ってきたような気がします。
思い出してみると 40代前半に遭遇した臨済禅の影響から大きく方向転換しました。 それからは年をおうごとに深化した思想が信念になり、行動へと高まっていったようです。

「今日1日、悔いのないように・・・」 これがしっかりと定着するようになって、沢山の迷いから開放されるようになりました。
学生のころ
「人生いかに生きるべきか?」自問自答したころ、下宿のおばあちゃんが(日蓮宗の熱心な信者だった) の話しを聞きたくなって自分の悩みを話しました。
「あなたは将来、必ずその解答をつかみますよ・・」と確信に満ちたように言った言葉が今も耳にはっきりと残っております。
それから45年やっとその予言が当たっていたと思い出します。

もしものことがあったら、 葬儀は密葬でお願いします。 都合のつくときいつでもいいですから一部は、室蘭絵鞆岬、マスイチ浜、白鳥大橋から散骨してください。
心から思います。
私は充実した納得できる人生を過ごすことが出来ました。自分に 80点やれそうです。それもみんな、みんな家族のおかげです。 ありがとう・・・・


午前6:00水は中止。口内殺菌うがいは手術前まで行なう。
8:00 血圧154。動脈から血液検査(酸素濃度を測る)
S・ドクター様子見に8時過ぎ来室。
(家族に切り出したすい臓を見るかどうか聞いてみてほしい・・・)
写真をインターネットに載せたいので頼むことにした。
座薬で浣腸 動脈から血液検査(酸素濃度)血糖値145
9:30 麻酔科のM先生説明に来る
手術は3時間プラス1時間(準備など)計4時間との説明。  
麻酔は胸部からモルヒネを投入(過去に椎間板ヘルニア手術があり背中からの注入は無理。手術は全身麻酔で行なうとのこと。)   

2007年5月17日 
午前9:30   富岡総合病院 病室にて記。   
65歳 (すい臓癌手術6時間前)


ベットに仰向けに寝かされ手術室へ運ばれていった。17年前の手術の時とおんなじに天井を見た

あの時はどんな気持ちだったか思い出した。
手術室のドアが開き入る瞬間「まだ今なら引き返すことができる・・・」などと思ったことを。
今回は動じることなく、感じることもなく淡々と過去のことなど思い出したりした。手術室は濃いモスグリーンであった。

前回は整形外科椎間板手術だったので手術室には、のこぎりや、ハンマー大工道具のようなものがケースに入っていた。手術室はタイル張りの寒々した部屋でかなり長い時間待たされた。
時間があったので手術室を細かく観察した。移される手術台は4つの角が突き出たような台だった・・・。

手術が終わって病室で体が動くようになって手術の想像図を描いた。今でも残っているのでこの欄に載せようと思っている。


全身麻酔が施されている。





腹の皮膚切開後
腹筋を切断。
間膜(ネット状の袋)切り
胃と腸を持ち上げて裏側にある
すい臓と脾臓が見えるようになった
状態のイラスト

右上のダークブルーの臓器が脾臓。
ここにすい臓尾部が接続。
左下が頭部となる。
おたまじゃくしに形が似ている。





取り出した直後の
すい臓と脾臓


手術時間ー1時間41分ー無輸血







へ」の字に切開
公立富岡総合病院・外科の開腹方法






ホルマリン漬けの中から取り出された
私の癌と初体面・・


取り出された癌とニラメッコ
       (simulation)
手術には腫瘍の解剖学的位置、特に血管との位置関係が極めて大切である。

今ではCT画像から3次元的に血管や周囲臓器との位置関係が良く分かる。

Mさんの腫瘍は、まず開腹し、膵臓の前に位置する胃を結腸と切り離して頭側に挙上し(図3)

腫瘍には触れないで、その栄養血管である脾動脈をその根元で切断する(図4)。

次に、膵臓の切断線は上腸間膜動脈の右縁なので、この動脈の腹側を、膵臓の背側を走る脾静脈とともに後腹膜から剥離して、先に決めた切離線で切断する(図5)。

これにはstapling device と呼ばれる縫合と切離を瞬時に行うことができる道具を使用する。

この段階で腫瘍を栄養する血管がすべて遮断切離され、手術操作による癌細胞の飛散を防ぐことが出来る(non touch isolation method)。

あとは周囲組織から harmonic scalpel と呼ばれる高速微振動の摩擦熱で蛋白凝固させて組織離断をおこなう道具を用いて、膵臓、脾臓、所属リンパ節を一塊として摘出して手術が終了する。

という工程を前もって頭の中でsimulationすることが出来るのである。

5月17日は定期手術日であり7件の手術が予定されていた。

6件をすべて終え、最後にMさんの手術が始まった。午後4時近くになっていたと思う。


手術は前もって頭の中で行った simulation の如く順調に経過し、1時間41分、無輸血で終了した。

昔であれば6〜7時間かけて輸血をしながら行う手術である。

CT画像と上で述べたハイテク機器のおかげで、安全、確実、迅速に出来ることは、手術を受ける患者さんにとっても、私たち外科医にとっても有難い時代になったと感じている。



医者としての姿勢


私の場合は、学生の時から外科を希望し、そして28年経過しましたが、今振り返って思うことは、ひたすら外科職人を目指していたということかも知れません。

意識的に避けてきたのは、
1−目立ちたい為の行動
2−肩書きを得るための行動
3−利益を追求する行動

の3点でした


きっと何処の社会でもこのような人は居ます。
しかし医療人としては有害そのものです。

経験をつんで少しずつ進歩して来ましたが、最良の教科書は目の前の患者さんでした。

患者が医師を育てる、という真理を確信しました。
多くの患者さんに育ててもらった事実が、いくつも思い出されます。

そしておそらく他の業種にもある、例えば、教師を育てる生徒、店を育てる客、警察官を育てる犯罪者、親を育てる子ども、などなど、あるのかも知れないと思っています。

私の場合、多くの患者さんに育ててもらったのですが、更に生きる、ということを見せて頂いているのも、以前にお話させていただいたと思います。

病気を通して確かに健康とは有難いと知り、煙草を吸ったり運動せずに肥満でいることの危険を是非に、社会に還元したいし、また今夜も在宅で亡くなった人の看取りに往診に行きましたが、亡くなる人、その家族を通して、死に様、生き様を感じられます。

結局はこの道に入って、職人として技術を着けたいと想い、生き様、死に様から、生きるとは何だ、という人間の永遠の問いの答えを探しているのだろう、思います。

5月18日 17年前
椎間板ヘルニア手術の思い出
肝腫瘍に対する経皮的マイクロ波凝固療法、小開胸マイクロ波凝固療法
お父さんへ   
  昨日ほど一日が長く感じられたことは、今までなかったよ。手術前のお父さんは、これから大きな手術を控えているのに いつも通りで、お母さんや私のほうが平常心でいるのに苦労したのよ。
さすがだね・・・手術が始まってからは、神様に祈るだけ・・・こんなに時間が過ぎるのが遅いと思わなかったよ。

二時間が過ぎた頃、先生に呼ばれて、手術室の隣の部屋に入ると、今お父さんから切り取られたばかりのすい臓と脾臓があったの。「ここの黒い所が、癌細胞です。」と説明され 「写真もちゃんと撮ったので、大丈夫ですよ。」と聞き、逃げるように部屋を出たの。

だって、もう立っているのがやっとだったのよ。お父さんは手術前に、切り取った臓器をの写真を何枚も撮っておくように、私達に言ったけど、それどころじゃないのよ・・・ 先生が配慮してくださったから、本当に良かったのよ。
看護師さん達も びっくりしていたよ。

今までこんなことした人いないんじゃない?何はともあれ、全摘出?!というくらいの大きなすい臓と脾臓を無事に摘出して、お父さんの手術は成功!!面会出来るようになったと部屋に呼ばれたのが、その二時間後位。まだ半分麻酔が効いているみたいで、意識もしっかりしていなくて、「ウーウー」と苦しみながらベットに横たわっていたの。

見ているのもとっても辛かったけど、辛いのはお父さんなんだから、何かしてあげなくちゃと、かすれた声で何か訴えているお父さんの言葉を聞き取って少しでもお父さんの痛みが和らいでくれるよう私に出来る事をしたの。一時間位したら、痛み止めのモルヒネがだんだん効いてきた みたいで、少し眠り始めたから、そのまま少しでも眠れるようにと私とお母さんは病院を後にしたの。

帰り道、お母さんが心配だったから、藤岡まで行ってから前橋まで帰ったの。夜暗いと、道も危ないし、お母さんも相当疲れきっていたからね。
今日が一番痛くて辛いけど、お父さん、生きるための痛みだから 乗り越えてね、そう何度も言いながら、昨日は私もやっと少し眠れたよ。 お父さんへ   

17年前私が48歳だったとき、椎間板ヘルニアの手術をした。大きな手術は今回2度目である。2度目ともなると手術に対する恐怖感がほとんどないのに驚いた。

当時の病床日記を久しぶりに取り出してみた・・・

椎間板ヘルニア手術

平成2年48歳。
法人を解散し個人業に転換中に過労がたたり、椎間板ヘルニアになる。島田記念病院三ヵ月牽引後、回復の見込みがないと判断し医師に手術申し出る。約四ヵ月入院し、平成2年12月に退院。

青春時代のバイブル「カラマーゾフの兄弟」を再読する。
回復の見込みも経たないままの三ヵ月間は人生で初めて絶望感を経験する。各病室からもれる物音を聞き、消灯した部屋で人生を振り返る時間を持った。

私自身子供のころから人並みはずれた体力を保持していたため、体力のないもの、気力の無いものに対して何処かで思いやりに欠ける行動をしてきた。しかし自分がいとも簡単に枯れ木のようにポキリと折れた体になった。「なんともろいものか」。

ベットの上で、もし再び社会復帰出来るならば今度は、弱者の立場にたった行動と活動をする事を心に誓った。ベットの上で故郷のことを考え続けた。室蘭港の鳥瞰図やたくさんのスケッチをした。そして白鳥の塔の建設を思い立つ。
宗旨宗派に関係ない少子高齢化の時代に遺骨を納める納骨堂に世界中から希望者を募り、数百万の遺骨を納める[白鳥の塔]構想を練った・・・・。

直径3cm以下の肝臓癌、転移性肝腫瘍に対して、大きな開腹や開胸を必要としないマイクロ波凝固療法(体表より超音波ガイド、または小さな開胸で、腫瘍に針状電極を穿刺、腫瘍をマイクロ波で熱凝固させる)を行なっています。
極めて低侵襲で、また繰り返し治療が可能です。直径3cm以下の肝細胞癌、転移性肝腫瘍の治療法として確立しました。



1994年(平成6年)
マイクロ波治療法確立

公立富岡総合病院 外科医長佐藤尚文医師は肝臓がンの新治療法を学会で発表した。
現在、マイクロ波治療法として確立された。

新聞記事より引用   人生の総仕上げの時間
ドクター中川(東大教授 緩和ケアー診療部長)
「癌はもとは自分の細胞です。
ですから免役システムが異物として認識しにくいのです。「自分であって自分 でない・・・」という奇妙な性質ゆえ、体にはびこることになるのです。
癌細胞は細胞分裂を繰り返し、 突然 変異の数が多くなりタチが悪くなります。
元の臓器から血液の中を 流れ込んで他の臓器に転移し、 体が必要と する栄養を奪い死にいたるのです。
たった一つ出来たガン細胞は自分のコピーをすごいスピードで作り、 体の 資源を容赦なく奪います。
最後は体が滅び(死)ガンも絶滅します。人類の未来を暗示しているようです。


ガン は転移すると手強くなります。治癒率は低くなります。 早期がんは、鳥かごの鳥で捕まえやすい。
ある程度進 行したガンは、鳥が鳥かごから出て部屋の中を 飛び廻っているようなもので、がんばれば捕まえられます


転移 したガン
は部屋の窓から外に飛び出した状況に 似ています。こうなると捕まえるのは難しい。最初の治療に失 敗してガンが再発すると治癒は難しい。
そうした意味でもがん治療は最初の治療が重要です。
しかし再発して も数ヶ月から数年の猶予があります。 心臓、や事故と違って

「人生の総仕上げの時間」
を与えてくれるのですしかもこの時間がどんどん延びてきていますこの点でもガンに一片の情けがあるといえるでしょう。
8月24日      周辺にがん細胞の転移なし  2007−8−24

すい臓がんCT画像
  
2007−5−11 
 





手術後画像
2007-8-24