手術ドキュメント−T すい臓がん 2007年5月11日

公立富岡総合病院 外科チーム


黄色の部分が最大6センチになった「すい臓がん」
無料・カウンター
すい臓癌 告知 三好徹明
告知・入院・手術・退院・日記より
S・ドクターの手記
手術ドキュメントT
2007年 5月11日 金曜日

膵(すい)ガン 告知の朝・・・

朝7:30 公立富岡総合病院外科外来へ診察に出かけた。
過去、癌など発症した複数の人が、どこで聞いたのか私がS・ドクターと「個人的な知り合いだと聞いた」といって訪ねてきた ・・・」
私は言った。
「S・ドクターはどんな人に対しても全力で診察対処してくださるから心配ありません。外来へ朝早くいかれたほうがいい」
私は以前よりS・ドクターを医者として尊敬する前に人間として尊敬していた。

自分自身のこととて、大勢の患者で忙しいS・ドクターにわずらわしい負担をかけては申し訳ないと感じていた。
だから事前の連絡もせずに、一患者として診察を受けるために早朝でかけたのである。

8:45分診察。
症状を説明後直ちに、各種検査が始まった。 血液検査ーCTスキャンの造影剤による副作用による嘔吐する。 救急室で40分近く安静にし点滴。

診察室に戻りフイルム画像を見る。

S・ドクターより

「すい臓がんの可能性90%・・・」

と告げられる。
フイルムを見る先生の表情は「まずい」という感じだった。
即座に転移がなければ「手術」転移があれば「化学治療」と告げられる。
私は一瞬「エッ」どうして・・・
父方、母方に誰一人といて癌を発症した人間がいなく、自分は循環器系の疾病で終わるのだと信じて疑わなかった。
遺伝的体質が癌発症の大半の占めるといった思い込みが砕け散った瞬間だった。

「とうとうお迎えが来たか!考えていたより少し早かったな・・・」
そんな思いを抱きながら国道254号を愛車の軽自動車を運転しながら帰って来た。心に動揺らしきものはなかった。

午後30年来の友人のTさん宅へぶらりと出掛ける。淡々と癌の宣告を受けたと告げる。彼の兄弟も肺がんで亡くなっていた。

突然Mさんが私の外来を受診された。

Mさんとはかれこれ20年近くのお付き合いを頂いており、そういえば私の妻が、最近Mさんがお疲れのご様子で検査を勧めた、という話を思い出した。

胃が変で背中が重苦しいとのこと、近所の医院で胃カメラをしたが、胃炎程度だったとの事であった。
最近血糖値も高めで・・・・という。
私は直感した、膵臓だと。

膵臓は腹腔の背中側に位置し、いわゆる後腹膜臓器であり、また血糖値を下げるインスリンというホルモンを分泌している。
胃部と背中、血糖、このキーワードは直ちに膵臓を連想させるのである。

直ちにCT撮影を行って、私の直感は確信に変わった。
膵臓体部から尾部にかけて最大径6cmに及ぶ腫瘍がある。


採血の結果を見ると正常値が5以下のCEAが11.7と高値を示している。
診断は100%膵臓癌であった
しかしMさんには90%の確率で膵臓の癌を疑います、とお話した。

それは膵臓癌と診断がついても、その段階で外科的切除が適応(切除が有効と判断される)人は1〜2割しかいないという現実があるからである。
5月12日 土曜日

昨夜はあれこれ考えたが5時間ほど連続で眠れ4時ごろ目が覚めた。
「・・・膵臓癌は「がんの王様」と呼ばれています。膵臓癌と診断を受けた時、多くの場合余命も宣告されています。一般的に1年以内、転移があれば6ヶ月程度と言われます・・・」
インターネットの「すい臓がん」情報は全てが、「癌が発見されたときは90%手遅れ・・・」であった。
自覚症状がはっきりしていた。胃の違和感、背中の痛み・・・1ヶ月前には437という血糖値の異常な高さ・・・。はっきりと兆候があったのだった。

告知によって一番自分にとって重要な問題なのは、「体が自力で動かせるのは約3ヶ月という現実に、心がどのような反応を示すのかが問題であった」
私は心を覗くことに集中していった。65年間どのように生きてきたか、「最後の審判」
を自分自身で下さなければならない・・・。妻と相談し、子供だけには事実を告げようと一致した。東京の息子に電話した。すい臓がんを告げた。

声がすすり泣きに変わった・・・前橋の娘に電話した。娘婿が電話に出た。
娘が直接電話に出なかったことにホットした。
「明日、全員集まってくれ」と告げた。
告知2日目が終わった。
CTでは幸いにも遠隔転移や後腹膜浸潤は認められず、切除可能と思われたが、CTで描出出来ない遠隔転移などがあって最終的に切除不能と診断されるケースもあり、もうひとつPET検査をしてから結論をお話したほうが、良いと判断したからである。

Mさんは、
私に言わせれば、信念と行動の人である。確固たる人生哲学を持ち、強い意思で行動に移して来られた方である。
しかしそれでも、いきなり90%癌であるとお話してしまったので、ショックは大きいであろう。

治療方針が確定した段階で、詳しいお話をするべきと私なりに考えたのである。
しかしこの時、心の中で手術は5月17日と決めていた。

PET検査の予定が5月15日しか入らなかったからである。
私たち外科医は手術という治療手段を持っている。腫瘍の治療としてはきわめて有効な武器である。

しかし一方で受ける患者さんにとっては、薬では治らない状況ということである。
診断は的確に迅速に、治療開始も出来るだけ迅速に、そして安全に確実にと心がけている。
5月13日 日曜日  家族集合

午前中に家族全員が集まった。市内の飲食店へ全員で食事に行く。私自身「最後の晩餐?という心境だった」
2階の500号白鳥湾の油絵の前で写真撮影。家族全員で。
午後、妻に孫の相手をしてもらい、長男、長女夫婦に私の癌のこと、私の心境。あとに残される妻のこと、全てを洗いざらい話をした。
子供たちの家庭はインターネット環境にあり、すい臓がんの何たるかを全員が認識していた。子供たちはただ泣くだけだった・・・


最後の家族写真・・・
5月14日  月曜日
長男は休暇をとってきたと1日を家の周りの整理や方付けで共に過ごす。
余命を計算し、心残りがあるとすれば白鳥の塔建設計画が夢に終わることで、
何とか構想だけはまとめて残りの時間でサイト上に残したいものだと打ち明ける。

5月15日 火曜日
PET検査結果

癌の実態が判明する日

午前9:00
藤岡市「くすの木PETセンター」 へ
2時間30分ー検査時間。
午前11:30終了ー帰宅


午後9時10分 メールにて報告。
S・ドクター、有難うございました。

CT画像を見て、インターネットで調査すればするほど、また現れてきた自覚症状の様子からガン転移をほぼ確信し 1年以内の余命と覚悟を決め、
家族全員を5月13日に集め、そこで家族全員に言いました。

「人間の一生は時間の長さで決まるのではない、 どのように生きたかの納得で決まるのだと40代になってから生きてきた。
だから自分の生命が何時終わっても悔いのないように生きてきたつもりだ。
そしていまその基本姿勢が本物かどうか試されようとしているが平常心を保てそうだ。
私のことは心配するな。
君たちはそれぞれの未来に向かって責任を果たしていってくれ。
本人が絶望しないのだから君たちのほうがしっかりしてくれ・・」


そのようなことを話しました。
そして先生から今日の午後3:30分ごろ電話をいただき、
転移がなく手術が可能だとの話を しますと憔悴しきっていた妻も、今日会社を休んで待機していた長男も、声を殺して泣きました。

このとき
「私は家族をはじめ多くの人に支えられて生きながらえてきたのだ」
と あらためて心のそこから感じることができました。

この私を含めたドキュメントをHPに詳細に掲載して行くつもりです。
有難うございました・・・他に言葉が見つかりません。


先ほどメールを開いたら 検査結果が分かる前に
長女から送られてきたメールを添付いたします・・・

長女からの来たメール
Sent: Tuesday, May 15, 2007 3:22 PM Subject:

大好きなお父さんへ
何度も何度もメールを送ろうとパソコンを開いたけどどうしても手が動かなくて・・・でもあと何時間かで、検査結果が出てしまうから、その前にどうしても伝えたくて、メールします。

私はまだお父さんが癌だなんて、どうしても信じられません。
だって二〜三ヶ月で急に癌が発症して、進行してしまうなんてどうしたって考えられないんだもん!
あんなに元気で体力のある お父さんが・・・何かの間違えでしょ?きっと膵炎に違いないと私は思っています。
そうでなくちゃ絶対に嫌!!  
 お父さんは、私が小さい頃からいつも言ってたでしょ?手相を見せて「お父さんは、100歳まで生きるからね」って。
その言葉、ずっと信じてるよ!お父さんは、私に嘘をつかないでしょ!
お父さんは私にとってこの世で一番尊敬している人なの。
父としてというより人間として・・・子供の頃、仕事で忙しくても、私の悩みの相談にのってくれて、沢山の事を学んだし、勇気をもらったの。
普通の男親だったら反対する、東京への大学進学だって、お父さんは一度も反対せずに応援してくれた。

本当に感謝しているの。結婚して子供が出来て、私にも自分の家庭が出来た。
今はこの家族のために、毎日を私なりに頑張って生きているの。

やっと祐人が  二歳になって落ち着いてきたし、お父さんの議員生活も終わって少しでも親子でゆっくり話したり、出かけたりする時間がもてると楽しみにしていたのよ!! 

お父さん、私ね、お父さんが癌かもしれないって聞いたとき  
 「なんでお父さんなの?なんで私じゃないの?」って思って、一日中涙が止まらなかった。
すぐに電話したりメールしたりしたかったけど体が動かないの・・・でも子供たちの前では、いつも通りにしてなくちゃならないし、立っているのが精一杯だった。
今まで生きてきて、味わったことの無い感情と震えが止まらなかった。  

 でもね、お父さん、私信じてる!お父さんはいつも奇跡を起こしてくれるもの。 誰も出来ないようなことを、いつもやってのけてしまう。
だから今回もきっと大丈夫!!!!!   お父さんの事だから、私や心はお父さんの事じゃなくて自分の事を心配しているんだろう・・・なんて思っているでしょ?お母さんの事を・・・ 

 私も心も、今はお父さんの事しか全く考えてないよ。
私は お父さんのためなら、自分のすい臓をこの場で提供できる。

私の残りの寿命をすべてお父さんにあげたい。まだ何にも親孝行してないのに、こんなに突然癌だ・・・なんて言われたって納得できないよ。

 お父さん、これからが第二の人生の始まりだって言ってたじゃない!
もっともっと私たちと一緒に生きて!
私の中でお父さんはあまりに大きな存在過ぎるから、絶対に病気に負けないで!!
いつまでも私たちのそばにいて!  

 どうか神様がいてくれますように・・・  娘より




奇跡
が・・


午後3:30分

公立富岡総合病院S・ドクターから電話でPET検査の結果が入る。

「他に転移がありません。予定通り手術をいたします!入院の手続きに入ってください」

妻と長男が泣く。すぐに娘に電話を入れる。

午後4:00
妻と二人で公立富岡総合病院へ入院手続きに出発。

午後7:00

帰宅し入院の準備に入る。
長い長い1日終わる。
遠隔転移なし
PETの結果が判明し遠隔転移なく確実に手術適応と判断し、15日夕方
Mさんに電話を差し上げた。
予想したとおり、すでに膵臓癌について調べられており、
16日入院、17日手術で良いとのお話を頂いた。




CT画像に分かりやすくガンの位置を示した図



金色に光っている部分がガン
PET CT 画像    くすのきPETセンター画像



手術直前で全身麻酔終わったところ

手術シュミレーション(simulation)

手術には腫瘍の解剖学的位置、特に血管との位置関係が極めて大切である。
今ではCT画像から3次元的に血管や周囲臓器との位置関係が良く分かる。
Mさんの腫瘍は、まず開腹し、膵臓の前に位置する胃を結腸と切り離して頭側に挙上し(図3)


腫瘍には触れないで、その栄養血管である脾動脈をその根元で切断する(図4)。

次に、膵臓の切断線は上腸間膜動脈の右縁なので、この動脈の腹側を、膵臓の背側を走る脾静脈とともに後腹膜から剥離して、先に決めた切離線で切断する(図5)。



これにはstapling device と呼ばれる縫合と切離を瞬時に行うことができる道具を使用する。

この段階で腫瘍を栄養する血管がすべて遮断切離され、手術操作による癌細胞の飛散を防ぐことが出来る(non touch isolation method)。
あとは周囲組織から harmonic scalpel と呼ばれる高速微振動の摩擦熱で蛋白凝固させて組織離断をおこなう道具を用いて、膵臓、脾臓、所属リンパ節を一塊として摘出して手術が終了する。という工程を前もって頭の中でsimulationすることが出来るのである。

5月17日は定期手術日であり7件の手術が予定されていた。
6件をすべて終え、最後にMさんの手術が始まった。午後4時近くになっていたと思う。
手術は前もって頭の中で行った simulation の如く順調に経過し、1時間41分、無輸血で終了した。
昔であれば6〜7時間かけて輸血をしながら行う手術である。

CT画像と上で述べたハイテク機器のおかげで、安全、確実、迅速に出来ることは、手術を受ける患者さんにとっても、私たち外科医にとっても有難い時代になったと感じている。
5月16日 水曜日  医者としての姿勢
入院
8:45 藤岡の自宅を出発。
9:20 富岡総合病院に到着 A棟3階病室に入る
12:00 昼食 重湯・ヤクルト・具なし吸い物・・・
口の中の消毒うがい今日中に10回。 風呂に入る。 個室に移動する。パソコンセット。
3時15分 佐藤尚文先生が病室に顔を出す。 下剤を飲む 。 カーナビDVDでビデオを観賞する。
6:20分 腹が減った・・・食事が来た!
1時間半前から耳をそばだてて待っていた。 お膳を見た。驚くなかれ、
重湯が茶碗に3分の一とわずかな味噌。コーンスープカップに3分の一。
紙パックのリンゴジュース・・・・。

固形の食べるものなどひとかけらもないのだ。
これが最後の晩餐になるかも知れない夕食メニューなのだ。

昼食は深く考えずに腹に入れてしまい失敗したので、 今度はゆっくりと口の中で嘗め回し 味わいながら流し込んだ。

こうしてパソコンを相手に不満をブチマケている自分は 昨日は多くの人に支えられて生かされているのだという 「真理」感じたのに おなかの訴えに、ついあいずちを打てしまっう情けない人間なのだ。 廊下の食器棚に返却し、昼食の時にはみもしなかった、他の患者の返却容器の中を見てしまった・・・・。
ナント!油揚げをそっくり残している人がいるではないか・・・。 目が釘付けに・・・私の本性は情けない人間だった。

午後7時現在、の体の症状は、背中が完全に痛みを増してきた。
すい臓癌の位置である。
危機一髪の瀬戸際での手術になっていた。 S・ドクターに感謝、感謝。

私の場合は、学生の時から外科を希望し、そして28年経過しましたが、今振り返って思うことは、ひたすら外科職人を目指していたということかも知れません。

意識的に避けてきたのは、
1−目立ちたい為の行動
2−肩書きを得るための行動
3−利益を追求する行動

の3点でした


きっと何処の社会でもこのような人は居ます。
しかし医療人としては有害そのものです。
経験をつんで少しずつ進歩して来ましたが、最良の教科書は目の前の患者さんでした。

患者が医師を育てる、という真理を確信しました。
多くの患者さんに育ててもらった事実が、いくつも思い出されます。

そしておそらく他の業種にもある、例えば、教師を育てる生徒、店を育てる客、警察官を育てる犯罪者、親を育てる子ども、などなど、あるのかも知れないと思っています。
私の場合、多くの患者さんに育ててもらったのですが、更に生きる、ということを見せて頂いているのも、以前にお話させていただいたと思います。

病気を通して確かに健康とは有難いと知り、煙草を吸ったり運動せずに肥満でいることの危険を是非に、社会に還元したいし、また今夜も在宅で亡くなった人の看取りに往診に行きましたが、亡くなる人、その家族を通して、死に様、生き様を感じられます。

結局はこの道に入って、職人として技術を着けたいと想い、
生き様、死に様から、生きるとは何だ、という人間の永遠の問いの答えを探しているのだろうと思います。
5月17日 木曜日    

家族えの伝言

パソコンで昨日書いた 書き込みが消えてなくなっていましたので改めて家族に書き残します

「万が1に備えて書き残すこと」
 お母さんへ 40年間わがままな私に連れ添ってくれてありがとう。感謝いたします。
尚美と、心へ 万が一のことがあったら二人でおかあさんをサポートしてください。
わたしが3人に出会えたことは奇跡で神秘以外のなにもでもありません。

わたしの人生というキャンバスに、 どれほどの豊かなと色彩、実りをもたらしたか計ることは出来ません。
わがまま(わが道をゆく)を押し通してきた私は、3人にとって心配の種だったでしょう。 私はその分充実した人生を送らせていただきました。

死の土俵際に立っても心はほとんど動揺することなく正面から現実を受け止めることが出来るのも 3人のおかげです。
わたしは、3人にお金や物質的な物を残してやることは出来ませんでしたが、 しかし真の価値観や、人生の生き方など「心と魂」の栄養を子供のころから与える努力をしてきました。
わたしが確立した世界観、価値観からしたことですが、いつか3人にきっと[大きな実り]となって帰ってくることを信じて疑いませんでした。

ここまで生きてこれたのも多くの方から「陽に陰に」支えられた結果だと感謝の心でいっぱいです。 65年間を全速力で走ってきたような気がします。
思い出してみると 40代前半に遭遇した臨済禅の影響から大きく方向転換しました。 それからは年をおうごとに深化した思想が信念になり、行動へと高まっていったようです。

「今日1日、悔いのないように・・・」 これがしっかりと定着するようになって、沢山の迷いから開放されるようになりました。
学生のころ
「人生いかに生きるべきか?」自問自答したころ、下宿のおばあちゃんが(日蓮宗の熱心な信者だった) の話しを聞きたくなって自分の悩みを話しました。
「あなたは将来、必ずその解答をつかみますよ・・」と確信に満ちたように言った言葉が今も耳にはっきりと残っております。
それから45年やっとその予言が当たっていたと思い出します。

もしものことがあったら、 葬儀は密葬でお願いします。 都合のつくときいつでもいいですから一部は、室蘭絵鞆岬、マスイチ浜、白鳥大橋から散骨してください。
心から思います。
私は充実した納得できる人生を過ごすことが出来ました。自分に 80点やれそうです。それもみんな、みんな家族のおかげです。 ありがとう・・・・



午前6:00水は中止。口内殺菌うがいは手術前まで行なう。
8:00 血圧154。動脈から血液検査(酸素濃度を測る)
S・ドクター様子見に8時過ぎ来室。
(家族に切り出したすい臓を見るかどうか聞いてみてほしい・・・)
写真をインターネットに載せたいので頼むことにした。
座薬で浣腸 動脈から血液検査(酸素濃度)血糖値145
9:30 麻酔科のM先生説明に来る。
手術は3時間プラス1時間(準備など)計4時間との説明。  
麻酔は胸部からモルヒネを投入(過去に椎間板ヘルニア手術があり背中からの注入は無理。手術は全身麻酔で行なうとのこと。)   

2007年5月17日 
午前9:30   富岡総合病院 病室にて記。   
65歳 (すい臓癌手術6時間前)


ベットに仰向けに寝かされ手術室へ運ばれていった。17年前の手術の時とおんなじに天井を見た

あの時はどんな気持ちだったか思い出した。
手術室のドアが開き入る瞬間「まだ今なら引き返すことができる・・・」などと思ったことを。
今回は動じることなく、感じることもなく淡々と過去のことなど思い出したりした。手術室は濃いモスグリーンであった。

前回は整形外科椎間板手術だったので手術室には、のこぎりや、ハンマー大工道具のようなものがケースに入っていた。手術室はタイル張りの寒々した部屋でかなり長い時間待たされた。
時間があったので手術室を細かく観察した。移される手術台は4つの角が突き出たような台だった・・・。

手術が終わって病室で体が動くようになって手術の想像図を描いた。今でも残っているのでこの欄に載せようと思っている。


椎間板ヘルニア手術 イラスト  三好徹明画


2007年5月17日  CT画像
2007年8月24日  CT画像

2007年 5月18日 手術
成功




2007年 8月24日検査 周辺にがん細胞の転移なし  2007−8−24
12007年 11月2日 肝臓へ転移1月2日CT検査


2007年11月2日検査。すいガン、肝臓へ転移


11月8日手術  
手術 ドキュメント−Uへ・・


肝腫瘍に対する経皮的マイクロ波凝固療法
(小開胸マイクロ波凝固療法)


直径3cm以下の肝臓癌、転移性肝腫瘍に対して、大きな開腹や開胸を必要としないマイクロ波凝固療法(体表より超音波ガイド、または小さな開胸で、腫瘍に針状電極を穿刺、腫瘍をマイクロ波で熱凝固させる)を行なっています。
極めて低侵襲で、また繰り返し治療が可能です。直径3cm以下の肝細胞癌、転移性肝腫瘍の治療法として確立しました。


1994年(平成6年)
  マイクロ波治療法確立

公立富岡総合病院 外科医長佐藤尚文医師は肝臓がンの新治療法を学会で発表した。現在、マイクロ波治療法として確立された。