第7回
バリアフリー


バリアフリ−。最近よく目や耳にする外来語である。現代用語辞典によると、障害、障壁からの自由。高齢者や、障害者の日常生活に防げとなる障害を除くこと。などと書かれている。
住宅建築の世界でも、さかんに高齢者にやさしい住宅とはなにか?と喧しい。超高齢化社会に突入する日本は、核家族化が定着して久しい。年寄りとの同居世帯が減少し、核家族主は、高齢者がむかえる障害の体験的学習の機会を失った。

現状の環境では障害者や高齢者の車椅子などの移動は、たいへん困難を伴い、身の回りにはきりがないほどバリア−がある。この外来語バリアフリ−〔障害・障壁からの自由〕を広義に解釈し、我々の心の動きや、社会現象に置き換えてみると面白い。例えば、人々は、高級乗用車や立派な家に憧れる。人の羨望をうけたい、快適に暮らしたい。無理して購入し経済破綻する例もあったりする。

学歴や教養などの誇示も知的ファションとしての快感である。これらの差別観や世間体をつくろう心の扉の奥を覗くと、意外に劣等感という厄介なバリア−が見えたりする。社会では、個人エゴが集団化され地域エゴになり、公共性を阻害するバリア−となる。経済産業世界では時代後れになった規制というバリア−が根強く存在する。政治行政の世界でも既得権という厄介なバリア−の前に遅々として変革が進まない。

六の改革を旗印に橋本政権の「火だるま行革」が成功すれば、日本の未来の展望が開けると思っていたら、早くも人事でつまずいた。個人から国家までのそれぞれのバリア−〔障壁〕は、始めから存在したのではなく、組織や秩序、価値観が形成される過程で少しずつ頭をもたげて、気がつくとドッカと居すわってしまうのだ。

今やあらゆる分野で高いバリア−〔垣根〕が立ちはだかっている。障害の皮を一枚一枚剥いてゆくと、しだいに隠れている本質が顔を出す。それは人の心に棲む欲望が、様々な組み合わせを経た姿である。欲望やエゴは、集団の中において独善、排他的性格がムクムク増殖しはじめる。
井の中の蛙大海を知らず、の例えのように閉鎖的環境の中では、新鮮な発想も建設的なエレルギ−も生まれない。古い秩序社会が抱えるバリア−だ。藤岡市では、室町時代に繁栄した関東菅領上杉氏の居城平井城をキ−ワ−ドに、「歴史を活かしたふるさとづくりサミット」と「上杉菅領まつり」を10月18〔土〕・19日〔日〕開催する。市民主体の発想と地域が連帯し、行政は縁の下に徹し協力する体制は、藤岡市では初めての試みだ。

このような市民手づくりイベントを通じ、個々の参加者に連帯感、共生感が生まれ、人々の欲望のトゲやエゴが後退し、押さえられるならば、様々なバリア−〔障壁〕が少しずつ克服されていくだろう。そして来るべき21世紀の初頭、藤岡の地は、室町時代に咲いた平井城を凌ぐ文化、経済の繁栄を謳歌出来るにちがいない。

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